3-28 おやすみ
アスランの手の先には、
完成させた1組の指輪が寄り添うように置かれていた。
左右には工具たちが行儀良く並んでいる。
その中央で、重ねた両腕に頭を預けて、規則正しい寝息をたてるアスラン。
藍色の髪の隙間から見える表情にはあどけなさが残っている。
その光景に、カガリは木漏れ日のように優しい笑顔を浮かべた。
白い指先が画面に触れて初めて、
カガリは自分がアスランへ手を伸ばしていたことに気が付いた。
カガリは切なく表情を歪ませて手を引き戻した。
それはアスランの前では決して見せない、顔。
胸の内に仕舞った思いが、
この世界に生きる一瞬。
そしてまた、胸の内に帰っていく。
カガリは左手を右手で包み込んだ。
それは、先の戦争を境についた、カガリの癖だった。
その意味に気づかずに。
それは、数時間前に遡る。
指輪が完成すると、画面を越えて達成感の空気に満たされた。
政務室ではカガリが手を叩いて喜び、
カガリにシンクロするようにポポは室内を旋回した。
ラクスの部屋では、アスランが満足げに目を細めていた。
と、欠伸がひとつ。
『すまない・・・。』
アスランは滲んだ目元を手の甲で擦りながら、次いで出そうになる欠伸を噛み締めた。
カガリはたおやかな笑みを浮かべた。
『少し休んだらどうだ?ザラ准将は仮眠がお上手だとか。』
わざと茶化して言うカガリの目元は蕩けるように優しい。
アスランは急に重力を増したように下がってくる瞼を瞬きで誤魔化した
。『アンリから聞いたのか?』
カガリはくすくすと笑いながら頷く。
アスランのワーカホリックっぷりは行政府の人間も耳にする程であった。
アスランのバックグラウンドに起因する興味と警戒の目と、
オーブで着実に積み上げつつある功績により向けられるようになった信頼の眼差しにより、
当人が何もせずとも自ずと注目が集まる存在であったことが、その周知に拍車をかけていた。
『自宅に帰らずに仮眠室で寝泊りしているらしいじゃないか。』
『それは言い過ぎだ。』
『ふふっ。わかってるよ。
だけど、それ位働き過ぎだって、そういうことだろう?』
アスランは米神に手を当てながら苦笑した。
『1時間、な。ザラ准将の仮眠の時間だ。』
カガリは食事を提案した時と同様、爽やかな風のようにアスランの表情を攫っていく。
『いや、しかし・・・。』
嘘をつくことが出来ない誠実さが邪魔をして、アスランは二の句が継げずにいた。
カガリは常夏の熱い空に向かって咲くひまわりのような笑顔を向けた。
『大丈夫。私が起こしてやる。』
『・・・、えぇっ!』
カガリの突拍子も無い提案に思考が追いつく間を空けて、
アスランは驚きの声をあげた。
――これ以上、カガリを付き合わせる訳にはいかない。
『もう日付はとっくに変わっているんだ。代表は早く帰宅を。
俺は、大丈夫だから。』
『アスランが大丈夫だって言う時程、大丈夫じゃないって、
知ってるんだからなっ。』
『ぐ・・・。』
そう言い切られては何も言い返せないアスランを目の前にして、さらにカガリは畳み掛けていく。
『明日の午前中はオフだし、』
カガリのオフとはおおやけであることを承知しているアスランは、
素直に頷けるはずが無い。
『それに、諮問役からの書類待ちでこっちもあと1時間はかかるだろうしさ。』
と、カガリはサイドのPCと手に持った書類に視線を送った。
『いつもみたいな気持ちでさ、少しだけ休んだらどうだ?』
アスランは表情を伏せるようにすっと視線を左下に逸らして、
睫の影を頬に落とした。
アスランにとっては、
“いつも”と“今”では休む意味合いが異なっていた。
いつもは休むことを後手に回し仕事を選んだ。
しかし今は、休めないから作業を選択し続けている。
休まないことと、
休めないことは、
決定的に違う。
アスランは睡眠を通して訪れる、
意識を手放す瞬間を恐れていた。
今、意識を手放すことにより錯乱状態に陥る、
あるいはキラ同様に自己を失う、
もしくはクォンやダニエルと同じ道を歩むという蓋然性は拭いきれない。
目覚めた時に自分が自分であるという、
日常であれば決して意識化されない確実は
あの事故を境に瓦解した。
その万が一の時を、アスランは決して迎えられない。
何故なら、メンデルの事実を背負うことが可能なのも、
そうすべき立場にあるのも、
自分しかいなかったのだから。
護るために背負うと、
選択したのは自分だったのだから。
――今はまだ・・・。
だが、何も知ることが出来ないカガリに何と伝えることができよう。
アスランはカガリに感づかれない程かすかに、
唇を噛んだ。
『大丈夫。
私がちゃんと起こすから。
起きたら、いつものアスランだから。』
それは木漏れ日のように穏やかで柔らかな光となって降り注ぐ。
光に誘われるように、アスランは顔を上げた。
起動させたPCで顔を合せることになった、
偶然、
ただそれだけなのに。
何故、
すぐに通信を切らなかったのか。
――ラクスはすぐには戻らないのに・・・。
何故、2人の指輪のサイズを尋ねてしまったのか。
――心配を煽ることになると、わかっていたのに・・・。
何故、
食事を共にして、
他愛無い話をして・・・。
――早く休ませるべきだったのに・・・。
――あぁ、そうか・・・。
アスランは己の無意識の行動の根底にあった想いの存在に愕然とした。
軋む様に痛む胸の熱と共に潤む瞳を隠すため、
アスランは目元を掌で覆うように顔を伏せた。
恐らく、カガリはメンデルの事実を知らずとも、
それを感じていたのだ。
アスランが背負うものを。
その痛みと、
ぐちゃぐちゃな感情を。
――それに俺は、甘えたんだ。
『ありがとう・・・。』
胸で支えそうになる言葉を、掠れた声でしぼりだす。
――いつも、俺は、
君に救われてばかりだ・・・。
瞳を閉じていても、
耳を塞いでも、
感じるあたたかな陽の光。
――君を護ると、誓ったのは
俺の方なのに・・・。
あたため、
いやし、
めぐみ、
照らす、
尊い輝き。
灯火。
光。
アスランは机に両腕を重ねると頭を預け、
溢れそうになるものを閉じ込めるように、硬く瞼を閉じた。
「せめてソファーで寝ればいいのに・・・、まったく。」
カガリは眉尻を下げて小さく静かに溜息をついた。
時計を見れば約束の1時間はとうに過ぎまもなく夜明けの時刻。
――もうちょっとで作戦が完遂する所だったのになぁ。
カガリの目から見てアスランの衰弱は火を見るより明らかであり、
本人が無自覚である分だけ性質が悪いことも熟知していた。
――食事も、睡眠も、
それから、自分も。
あいつのことだ、
みんな後回しだったんだろうな。
それは彼が背負わねばならなかったものの計り知れない重さを示していた。
それを背負わせているのは、自分で、
今の彼の衰弱を招いたのも、自分だ。
だからせめて、ほんの少しだけでいい、
彼の肩からそれを下ろさせてやりたい。
それが、気休めにしかならなかったとしても。
傍にいることも、
支えることも、
共に背負うことも、
知ることさえできないカガリにとって、
それが自分に出来る精一杯だった。
「今は、ゆっくり。
おやすみ。」
カガリの背後の大きな窓から見える海は凪、
藍色の空に浮かぶ月は西に傾き、
明けの星が輝き、
宇宙と地球が接する地平線に刻一刻と彩りが加えられていく。
夜明けはすぐそこまできていた。