3-27 hak―ハック
「煩くないか?」
アスランは手元から視線を上げてカガリに問うた。
書類に目を通していたカガリは琥珀色の瞳で、
アスランをじっと見つめる。
と、右手でフレミングの法則のように3本の指を立て、
画面に向かって人差し指と中指を広げ、
「眉間に皺がよってるぞっ。」
と、画面越しにアスランの眉間の皺を伸ばした。
「あっ。」
と、声を漏らしたアスランは咄嗟に眉間に手を当てた。
カガリは悪戯っぽくにこっと笑うと、
「私はモルゲンレーテ育ちだからな。
作業の音は子守歌のようなものだ。」
と言って書類のページを繰った。
「・・・それなら、いいが・・・。」
歯切れの悪い言葉を残して、アスランは作業を再開した。
「帰らないのか?」
アスランは手元から視線を上げてカガリに問うた。
何か文書を作成していたのであろうカガリは先程と同様に琥珀色の瞳でアスランをじっと見つめた。
カガリの右手が動いた瞬間、アスランは反射的に眉間に手を当てた。
カガリはひまわりのような笑顔を見せ、
「そうそう。わかってるじゃないか。」
と、中断していた文書作成を再開させる。
アスランは自らの眉間に当てていた掌をおずおずと下げると、
机の上の作業を再開しようとし、
――そうじゃなくてっ。
手を留めた。
「もう退庁時間はとうに過ぎているだろう。」
アスランはザラ准将の表情に、すっと変貌する。
「お体の為にも、残業は切り上げてご帰宅を。」
アスランの表情と態度と口調の変化を感じ取り、
カガリはアスハ代表の顔になる。
「プラント独立自治区ソフィアが完全な独立へ向けて動き出していることは知っているだろう。」
ソフィアの独立及び建国の動きからが
直接外交や諸外国との関係にきたす影響が徐々に顕在化してきていた今日において、
オーブは着実に体勢を整え、今後の独立の如何に問わず対応できるよう備えていた。
しかし情勢は常に紆余曲折の繰り返しであることは歴史が物語るとおりであり、
それに対応した万全な備えとは常に更新されていくものであるが故に、
尽力は注ぎ続けなければならない。
加えて、エレウテリアー及びグレーのMSの一件に関して
ガスパル共和国との交渉に比重を傾けていた分だけ拍車がかかることになった。
故にカガリのこなさなければならない政務は目に見えて増加しており、
さらにカガリが注ぐ国政への情熱が追い討ちをかけ、
一般的な法定労働時間を超過する日々を送っていた。
「しかし、もうすぐ日付が変わってしまいますし・・・」
アスランは手元の時計から時差を計算し、
表情を俄かに厳しくする。
「なぁ、アスラン。」
アスランの忠告は、初夏の風のように軽く爽やかな声に攫われる。
「食事をしよう。」
アスランの思考が停止するのは、
これで4度目――。
「おーい、聞いてるか?」
「それはこっちの台詞だっ!」
画面を挟んで2つの湯気が螺旋を描く。
アスランは数日振りに口にするまともな食事が喉を通るのかと、不安が過った。
吐き出したいものを胸の内に押さえ込んだ反動として、
食べ物や飲み物を摂取しては嘔吐の繰り返しであった。
辛うじて胃の中に残った栄養や水分だけがアスランの身体の機能を保ってきた。
そして今、目の前には少しでも消化に良いと思われる食事がトレーにのっており、
そして視線を正面に向けると、嬉々として蓮華を握る大切なひとがいる。
――余計な心配を掛ける訳にはいかない・・・。
アスランは、不安による身体の強張りを悟られないよう小さく深呼吸をすると
スプーンでクリームシチューを掬い、ゆっくりと口に運んだ。
ミルクのやわらかさとあたたかさが舌の上を滑らかすべり
口内から身体中へじんわりと広がっていく。
「あ。」
思わず漏れた自身の感嘆の声に、アスランは思わず顔を上げてしまう。
ふにゃりと目を細めながら、
「おいしいだろ?」
その声の真意をカガリが引き継ぎ、
さらにそれをやんわりと婉曲させる。
「ラクスのお抱えシェフが作るカリヨンの食事は絶品だって、
有名なんだぞ。」
アスランは真意をあからさまに悟られることに羞恥を覚えるだろうから。
と、カガリは色とりどりの薬味がのった中華粥を蓮華ですくい
ぱくっと口にする。
「はふっ。」
金魚のように口をぱくぱくさせ口内の熱を逃がしながら目を細める姿を見て、
「美味しいか?」
今度はアスランがカガリの気持ちを言葉にする。
「絶品だっ!」
カガリはえくぼをつくり、蓮華を握り締めながら満面の笑みを返す。
あたたかな料理をかこみ、
味わい、
会話をし、
共に楽しむ。
これが、当たり前の食事であったことに気づきアスランは愕然とする。
当たり前に内包された尊さに気づく。
それを失念していた自分、
その前提を失っていた自分、
否定しようとした自分、
そして、それを放棄した親友。
――失いたくない。
それは、内発的で切なる願い。
そして、
――メンデルの事実を知ったら、
君はどうなる?
――君も失うのか・・・?
俺が、君から君を奪うのか・・・?
――俺が失うのか・・・。