3-26 時が止まる
『お待ちの間は、わたくしの部屋を自由にお使いくださいな。』
「と、言われてもなぁ・・・。」
アスランはハロと技術者から借り出した工具を手に、ラクスの部屋の前で立ち止まる。
友人とは言え女性の部屋に勝手に出入りすることに
アスランは躊躇いを感じずにはいられなかった。
――だが、この作業はひとりで行いたいし・・・。
「・・・失礼します。」
歯切れの悪い断りの言葉を、主の居ない部屋の扉に向かって呟いた。
アンティーク調の木製のデスクを見て、
アスランはふとクライン低のバラが香った感覚を覚えた。
――あぁ、そうか・・・。
そのデスクは、まだラクスと婚約関係にあった時にクライン邸で目にしたものであった。
その上には、当時と変わらぬクリスタル製の花瓶に生花が生けてある。
デスクに手を触れれば、木製特有の人肌のようなぬくもりとは縁遠い傷が刻まれていた。
それを指でなぞるアスランの表情がゆがむ。
脳裏に浮かぶのは、荒廃したクライン低と、
火薬と生花が交じり合ったむせ返るような匂い、
厳格な父の声――。
アスランはベルベットのクッションが付いた椅子に腰掛けると、
小脇に抱えていた作業用のシートをデスクに広げ工具をひとつひとつ丁寧に並べ始めた。
その中央に鈍く光る銀色の塊を置いた。
グローブを嵌めて、
袖を引き、
作業に取り掛かろうとした。
その時、アスランの時が止まった。
――しまった・・・。
サイズがわからない・・・
。デスクに両肘をつき、組んだ両手を額に当てて飲み込んだ息をゆっくりと吐き出した。
――まさか、秘書官に聞く訳にはいかないしな・・・。
秘書官は先程のラクスの様子から、キラとラクスの間に穏やかならぬことが起きていることは察しているはずだ。
その秘書官にサイズを尋ねれば、要らぬ心配を煽ることになりかねない。
組んだ両手に額をこつんと当てたアスランの眉間には深いしわが刻まれていた。
はっと、顔を上げるとラクスのPCを起動させた。
調べれば済むことに漸く気が付いたのである。
自分の頭の回転の鈍さに、苦笑以外の何も浮かばなかった。
そんな単純な思考すら正常に回らないということが何から起因しているのか、
自分を後回しにするアスランは気が付いていなかった。
そしてそのアスランを支える存在も、そこには無かった。
PCは個人回線がスタンバイの状態であったため認証やパス無しで開くことができた。
――無用心だな。
と、真面目につっこみながらアスランはキーボードに手をかけたその時、
アスランの時が再び止まる。
映し出されたのは、
見慣れた、
政務室。
「おーい。」
聴こえるのは、声。
その時初めて自覚する、
自分は求めて止まなかったのだと。
君の声を。
「ラクスー、待ってくれっ。
今、そっち行くからなっ!
お茶をっ。あぁ!!」
そして、陽の光のような、君を。
それが、救いであることを。
画面の向こう側に現れたカガリは、
画面に現れた予期せぬ人物の存在にすっとんきょうな声をあげた。
「おわぁぁぁ!!!」
「落ち着いて下さい、アスハ代表。」
アスランは苦笑まじりに言葉をかけたが、
その声も表情も至極穏やかであったことに本人は無自覚であった。
カガリは反射的に尖らせた唇をカップに付け、
落ち着かせるように紅茶を一口含むと、アスランに向き直った。
そして、今度は息を呑んだ。
先日カリヨンのブリッジで見た深紅と蒼白が交じり合ったアスランの姿にも増して、
カガリは衝撃を受けた。
この数日という短期間では考えがたい程不自然に衰弱していることは明白だった。
しかし、他者から向けられる心配を素直に受け止めることが出来ないアスランの性質を熟知するカガリは、
努めて明るい空気を作り出した。
「なんだか、今のアスランとラクスの部屋って、面白い組み合わせだなっ。」
カガリは軽く握った手で口元を押さえながら笑みをこぼした。
きょとん、とした表情のアスランが部屋を見渡し、手元の工具たちに目を向け、
納得したように眉尻を下げた。
ラクスの白を基調とした部屋には、優しい桜色と空色がアクセントとして配色されていた。
その色彩はキラとラクスを象徴しているようにも映り、
アスランは手元で鈍く光る塊の存在に苦味を覚えた。
その表情の機微に気づかないカガリではない。
しかし、今はそれに触れる時期ではないのかもしれない。
そしてその判断を下すには、材料が無さ過ぎる。
支えることも、
隣にいることも、
知ることさえ出来ない自分。
カガリはそれが自分の選択であるということを、
その痛みで再び認識する。
そして、そのカガリの機微を見逃すアスランではなかった。
「カガリは――。」
アスランは後に思う。
どうしてあの時、あの問いを口にできたのであろうかと。
「キラとラクスの指輪のサイズを知っているか?」
その問いと、画面に映った銀色の光から、
その意味など容易に想像つくであろうことが、
わかっていたのに。
それがカガリの心配を煽ることになると、
わかっていたのに。
どうして――。
「サイズ・・・?あっ!」
思い出したようにカガリは横のPCのキーボードを叩いた。
カガリはアスランの問いの奥にあるだろう出来事には触れず、
ただその問いに誠実に答えようとした。
「メールがあったぞ。
キラから相談受けたことがあったんだ。
婚約指輪、どうしようってさ。」
当時のキラとのやり取りを思い出すように、カガリは幸福そうな笑顔を浮かべた。
アスランはその笑顔を記憶に閉じ込めようとする、
その行為は無意識だった。
「作るのか?」
「え?」
カガリから伝えられた指輪のサイズを記憶に留めながら、
作業工程の思案にかかっていたアスランは、
カガリの問いに間抜けな返事を返してしまう。
カガリはくすくすと笑みをこぼしながら、画面の向こうへと指を指す。
「だって、それ。どう考えても、何か作る気だろ?」
はたと自分の状況を再確認すると、アスランは“あぁ、そうか”と言わんばかりに頷いた。
「指輪も作れるなんて、アスランは何でも作っちゃうんだなっ。」
感心したように語るカガリが可笑しくて、アスランは小さく笑った。
「何でも、は言い過ぎだ。」
そんなこと無いぞ、と、カガリは両手を使って“どれだけ凄いと思っているのか”を語りだした。
その一生懸命な姿はどこか滑稽で、
笑ってしまいそうなのに。
うまく頬が動かなくて、
締め付けるような胸の痛みが焼けるような熱を発するばかりで、
その熱が瞳に立ち昇る。
カガリの行為の奥にある言葉に表さない想いを、
分かってしまうから。
画面の向こう側へ行けたのなら、
そのまま掻き抱いてしまいたい・・・。
――何を馬鹿なことをっ。
コントロールに欠いた思考に悪態をつき、アスランは薄く瞼を閉じた。
「てことは、ラクスは暫く部屋には戻らないかもしれないんだな。」
それでも会話は成立していく。
「あぁ。急ぎでは無ければ、日を改めた方が・・・。」
何も知らされぬ者の苦しみの存在を知らぬアスランではないが、
メンデルの事実に対峙しているラクスには、
その一つ一つを受け止める時間が必要であることは明白だった。
「じゃぁさ。」
カガリの提案にアスランの時が止まる。
ラクスの部屋に入って3度目の、
アスランの時の停止。
「アスランが作ってるの、見ててもいいか?」