3-25 指輪が示すもの
医務室の隣室に控えるドクター・シェフェルにキラの容態を確認し、
アスランはキラが“居る”医務室の扉を開けた。
嗅覚を刺激する薬品の香が、
無機質な室内からさらに生命性を奪っていく。
ひとの精気が感じられない医務室を見渡すと、
キラはベットの隅で膝を抱えて壁に寄りかかっていた。
自身と距離を詰めてくるアスランの存在を知覚する素振も見せず、
キラは何の反応も見せない。
「キラ。」
アスランの呼びかけにも応答しない。
重たげにもたげた頭と、
重力に従って下がった視線。
アスランはそっとキラの手を取ったが、
キラは反応を示す事無くアスランの掌から滑り落ちた。
パサリ。
キラの落下した掌とシーツの擦れる音は乾ききっていた。
伝えることが出来る、
言葉に出来る、
そんな思いは何処を探しても見つからなかった。
アスランは唇を噛み締めながら、
もう一度キラの手を取った。
キラは知らない。
アスランが今ここに居るという行為は、
キラの真実を受容した上に成り立つ行為なのだと。
アスランは気づかない。
キラの受容とは、
自己の受容を意味していることを。
ふと、アスランは握ったキラの手の薬指に指輪が無いことに気が付いた。
そして、ラクスの左の薬指の腫れた赤の色彩が甦る。
アスランはキラの両方の掌を見たがそこに指輪は無く、
ラクスが所持している可能性を頭の片隅に置きながらも、
アスランはキラの元をゆっくりと離れ、室内を見渡した。
すると、床に擦れた血痕があることに気が付き身を屈めた。
ベットの脇のデスクの影に、赤黒い塊に銀色の光の筋が差しているのが見えた。
アスランは頭で驚きを感じながらも、それに実感を伴って体が呼応しないことから、
自身の感覚が麻痺しだしていることに苦笑しつつ、その塊に手を伸ばした。
それは、ぐちゃぐちゃに潰された2人の婚約指輪だった。
キラはラクスへの思いを否定した。
その意味をメンデルの事実を知るアスランは、理解できた。
自己の生成と存在を否定することと、
ラクスへの思いを否定することは、
今のキラにとっては等しいことだった。
そして、永久の愛の誓いの象徴としての指輪をラクスから奪い、
自らも外し、
潰した、
その行為を通してキラはそれを示した。
同時にそれはラクスへの最後の優しさとしての行為でもあった。
――『ごめんね・・・。』
もはや原型をとどめていない程ぐちゃぐちゃに歪んだ指輪から、
アスランはキラの声が聴こえてくる気がした。
――キラ・・・。
ラクスに、自由を与えようとしたのか・・・?
アスランは先程から微動だにしないキラへ面差しを向けた。
踵を固定するように巻かれた真新しい包帯の白さが、
痛々しさを助長した。
「トリィ、おいで。」
部屋の奥の棚の隅にひっそりと隠れていたトリィは、
音も立てずにアスランへ向かって羽ばたいた。
まるでキラにシンクロするように、
トリィは静かに佇んでいる。
「いいか、トリィ。
キラの傍にいてやるんだぞ。」
そう言い残して、アスランはキラの元を離れた。