3-24 レクイエム
アスランはネイビーのハロを片手に部屋を後にした。
振り返り、無機質な扉を透かすように見つめる。
その向こう側では、ラクスがメンデルの真実と対峙している。
『ひとりにしていただけませんか。』
それはアスランの予想だにしなかったラクスの申し出だった。
無論、アスランはその行為の危険性の危惧を呈したがラクスはそれを退けた。
『キラはひとりで、己と戦っています。
ですから、わたくしも戦います。』
メンデルの事実とその先の真実から瞳を逸らさない、
『逃げません。
屈しません。
そして、見つけます。』
真直ぐな信念を抱いて、
『わたくしの、真実を。』
清らかな微笑みを浮かべて。
アスランは視線を落とした。
掌の上のハロも心なしかおとなしい。
『何かあったら助けを求めると、
約束してほしい。』
それはかろうじてアスランが漕ぎ着けた約束だった。
『はい。』
と、ラクスは了承の笑みを表すとネイビーのハロをアスランの手にのせた。
意を解せ無い表情のアスランに、ラクスはくすりと小さな笑みを溢した。
『その時はアスランを呼びます。
もしも、わたくしがそう出来ない場合は』
その言葉に条件反射するように、アスランの脳裏にあの研究室の惨劇が過る。
『ピンクちゃんがネイビーちゃんを呼びますわ。』
――キラなら、
ハロを見ただけでラクスが言おうとしていることが判っただろうな・・・。
ラクスの行動は空間を支配する緊張感とは別次元のもののように思われたが、
それがありのままのラクス。
その隣には、やはりキラがいなくてはならないということを、
それが当たり前のことなのだと、
そのつつましい輝きを、
ささいな会話からアスランは思い知らされる。
そのラクスの隣にいるべきひとの処へ、アスランは歩を向けた。
扉の向こう側からアスランの気配が消えたのを確かめると、
ラクスは再びメンデルの事実と向き合った。
闇の向こうの真実を見つけ出すために。
次々に映し出されるメンデルの真実が、
無数の矢のようにラクスに降り注いでゆく。
まるでフィクションであると条件反射的に捉えてしまいそうになる程残酷なメンデルの軌跡に
生々しい現実感を付与させたのは、
そこで生きるコーディネーターとナチュラルの実存だった。
メンデルで研究に勤しむコーディネーターの研究者たちは、
その胸に高揚感にも似た情熱の火を燃やし続けていた。
絶滅への道を歩むコーディネーターの種を保存し、
断絶された未来への橋を自らの手で築くのだと、
そしてそれを実現できる英知をコーディネーターは備えているのだという確信を抱いていた。
彼等の瞳には確信への疑念も、
未来への絶望も、
その瞳には映していなかった。
まもなく未来をこの手にするのだと、
彼等にあったのは、
ただ純粋な希望だった。
そして、未来という正当性の名の下に行われたのは、
倫理を破壊し超越した非人道的な実験の数々だった。
その犠牲になったのは、
名を奪われ人間から被験者となったナチュラルの人々と、
子宮としての役割のみを課せられたナチュラルとコーディネーターの女性たち、
そして、メンデルで生み出される
人間として扱われる運命に無いコーディネーターの子どもたちだった。
被験者から採取されつづける生殖細胞、
意思とは無関係に受胎し続ける女性たち、
人工子宮で生成され続ける胎児たち、
果て無き実験に曝され続ける子どもたちは、
スーパーコーディネーターの証明を要求される。
その要求にそぐわない者の先にあったのは実験体としての廃棄。
つまり――
ラクスはハロを胸に押し当て、割れるような声をあげて泣いた。
ありのままの感情を抑えることをしなかった。
構えない、
自然体の精神をメンデルの事実に晒した。
涙は絶えることなく頬を濡らし、
肺が潰れるほどの泣き声は枯れ、
体温を失ったように冷えた全身は不規則に痙攣するように震えた。
それらは全て、
ラクスの精神の表れであった。
「う・・・歌・・・を・・・、ぅ・・・た・・ぃま・・・しょうっ・・・。」
ラベンダー色のルージュをひいたような唇を震わせながら、
嗚咽で旋律が途切れることも厭わず、
吸い込んだ息が胸の途中で支えても、
水分を失った喉が澄んだ発声を妨げても、
声にならなくとも、
旋律にならなくとも、
ラクスはレクイエムを歌う。
思いを込めて。
声を、
叫びを、
涙を。
悼みを、
悔恨を、
悲しみを、
憤りを、
絶望を。
そして、
未来への祈りを。
全てを内包し、
全てを捧げ、
全てを解き放つように。
宇宙に解けた無数の命たちへ。
届けと。