3-22 お話を、いたしましょう
「キラっ!!」
ラクスは医務室の扉を叩き続ける。
この騒ぎに駆けつけた秘書官等は絶句した。
波が荒げたようなラクスの声も、
傷だらけの腕で扉を叩き続けるその行為も、
乱れた髪の内に隠された悲痛にゆがんだ表情も、
全てが天の女神であるラクス・クラインとかけ離れていたからである。
「ラクス様、一体何がっ。」
ラクスの身を案じて傍に寄ったエレノワに目もくれず、
「キラっ!!」
ラクスは扉の向こうのキラへ真直ぐな視線を向けながら、
手を休める事無く呼びかける。
その行為がキラを追い詰めてゆくことを、
追い詰められた先にあるものは闇だけだということを、
共に歩む先に光があるのだと信じていたラクスは知る由もなかった。
「止すんだ。」
アスランに右手首を掴まれたラクスは姿勢を崩しながらもアスランに詰め寄り
自由の利く左手でアスランの胸元を掴んだ。
「ですが、キラはっ。」
――今お独りにすることはできません。
ラクスは本能的にキラの喪失を感じていた。
アスランは、胸元にあるラクスの左手の薬指に不自然な赤みが差していることに気が付いた。
そこに在るはずのものが無いことも。
「大丈夫だ。死なない。」
ラクスの思考に確信的に答えたアスランに、
ラクスは理解する。
彼はキラの闇の在りかを知っているのだと。
「その選択肢はキラには無い。
もしあるのなら、とうにキラはそうしている。」
ラクスの心を気遣うように、
口を開けば溢れそうになるものを胸の内に抑えながら、
アスランは努めて穏やかな口調で語りかけた。
手首から伝わるアスランの体温はキラの掌と同様に冷え切っていることを知覚し、
ラクスはアスランを見据えた。
翡翠の双眸はキラと同様の闇を押さえ込んだように澱み、
自己を辛うじて保つように眼光が儚げに揺らめいていた。
それは、メンデルの事実を浴びた者の目。
ラクスはゆっくりと瞼を閉じ、
ひとつ深呼吸をした。
開かれた瞳には、
迷い無く前だけを見据えた覚悟の威光を放っていた。
「エレノワさん、ニコライさん。
後で大切なお話がございますので、
政務室でお待ちくださいな。」
普段どおりの微笑みを浮かべるラクスに、
エレノワは凍りつき身動きが取れなかった。
向き直ったラクスはアスランに願い出た。
「お話を、いたしましょう。」
アスランが作業を行っていた部屋にアールグレイの香が広がる。
洗練された優雅な動作でアスランの前にカップが置かれた。
アスランは礼を口にすると、カップに唇だけを寄せテーブルに戻した。
メンデルを離脱して以来、何かを摂取すればすぐに嘔吐の衝動に駆られるようになった。
それは、本当に吐き出したいものを内に抑え込んだ反動だった。
ラクスは迷いの無い意思のこもった視線から、
アスランはもはや引き伸ばすことなど出来ないと悟る。
いつか来ると構えていたこの時ではあったが、
実際に眼前にして胸の痛みを覚える。
ラクスはどうなるのだろう、と。
「アスラン。」
もはや事実を伏せることはできない。
それを望むラクスではない。
「教えてください。
メンデルで何があったのか。」
そして、キラを救えるのはラクスしかいない。
暫しの沈黙の後に、アスランは口を開いた。
「突然だった。」
ティーカップの上で螺旋を描く湯気に目を向けながらも、
アスランは当時の光景を思い描いていた。
「キラと作業中にメイリンの悲鳴が聞こえて、
直後に銃声が聞こえた。
事故現場になった研究室に駆けつけた時、
ダニエルさんが頭部の一部を損傷した状態で倒れていて、
クォンさんがメイリンへ銃口を向けていた。
2人とも既に、錯乱した意識の中にあったと思う。」
それは以前アスランが行った事故経緯と同様の内容だった。
「俺がクォンさんに対峙して、
キラはメイリンの救助に向かった。
その直後、キラが錯乱状態に陥って、
クォンさんが命を絶った。」
アスランが行った事故の報告はここまでであった。
そこには語られぬ事実が潜んでいることも、
それが仲間を護るためのアスランの選択であることも、
ラクスは理解していた。
「キラも含め
あの場に居た者に共通することは、
あるファイルを見た、ということ。」
アスランの口から出た核心をラクスは復唱した。
「ファイル・・・。」
「メンデルの事実が記録されたファイル。
そこに、スーパーコーディネーターの生成の事実が記されてあった。」
それはキラが作られた事実。
「その事実を知った者の末路が、
今だ。」
コーディネーターの存在の否定を、
自身の生存を否定することで示したクォンとダニエル。
自己を取り戻せずにいるメイリンと、
自己として生きることを放棄したキラ。
そのどれをも許されないアスラン。
ラクスの脳裏に先のキラの言葉が甦る。
『知らないことも、
知ろうとしないことも、
罪なんだ。』
ラクスにとって
キラの罪とは自身の罪と同じことを意味した。
「それでも、
わたくしは事実を知らなければなりません。
そして見つけたいのです、
真実を。
キラと共に。」
ラクスの瞳に宿る覚悟の威光を確かめると
アスランはゆっくりと頷いた。
「ありがとう。」
その時零れた自身の言葉に表れた潜勢的な感情に驚き、
アスランは思わず口元に手を当てた。
海中に沈んだ身体に浮力が加わり、
ゆっくりと水面に浮上する感覚を覚えた。
自由を奪われていた当たり前の感情が、
ゆっくりと戻ってくる。
そして言えずにいた言葉が解けた糸のように、
紡がれる。
「そして、ごめん・・・。」
――今のキラが在るのは、
メイリンが覚めないのは、
クォンさんとダニエルさんを亡くしたのは、
俺の責任だから・・・。
「止めることも、
護ることも、
出来なかった。
今救うことも、
出来ない。」
アスランは奥歯を噛み締めながら視線を落とした。
「はい。」
アスランの感情を受け止めたラクスの表情から微笑みは消えていた。
「それでも。」
アスランは拳に力を込めて、
もう一度顔を上げ、前を向いた。
――変わられましたわね、アスラン。
「それでも俺は、
メンデルの事実を知ったことを後悔はしない。
知らなければならなかったんだ、俺たちは。」
――コーディネーターとして、
生命のひとつとして。
「そして、事実を知った者としての責任を果たしたいと、
今はそう、思っている。
それが今、俺に出来ることだから。」
言葉ひとつひとつを置くように語るアスランに
迷いは無かった。
「はい。」
ゆったりと頷いてみせたラクスに、たおやかな微笑が戻っていた。