3-19 事実の欠片
アスランはキラとラクスに眼差しを向けた。
錯乱するキラを穏やかな空気で包み込むラクスの姿は、
4年前のそれと重なった。
アスランの吸い込んだ息もその先の言葉も、
途中でつかえる。
ラクスに伝えられることなど
何も無かった。
床に捨てられた血まみれのハサミと同じ色に染まったラクスの掌から、
キラがおよんだ自傷行為をラクスが防いだ、
もしくはキラがラクスに危害を加えようとしたことが判断できた。
その直接原因を知るアスランは、
今後も同様の事態が続くことを確信していた。
アスランはくしゃりと表情を崩すと頭を振った。
『わたくしに、お任せください。』
その言葉を信じて、アスランは音も無く医務室を後にした。
アスランは部屋に戻るとPCに向かい、作業を再開した。
メンデルの研究室から持ち帰ったメモリーに保存されていたものとは、
メンデルで行われていた全てを断片化した無数の情報だった。
研究成果を示すデータや報告書の数々、
実験記録としての映像、
生きた実験体として使用された個人、
研究者や関係者の個人データから私的な記述に至るまで、
時系列に関係なく全てが雑多に混在している。
その中には、旧式のハードによって記録されたためバグを起こしているものも少なく無い。
故にアスランはバグを起こした情報や分断された情報を復元し、
パズルのピースのような情報の断片を分類した上で再構成する作業を行っていた。
アスランは作業を進めれば進めるほど
メンデルで行われていた事実が重層的なリアリティを伴って圧し掛かり、
思考の先の真実に苛まれていった。
ここで気を緩めれば、もはやキーボードを滑ってゆく指を動かすことさえもままならなくなると自覚していた。
故にアスランは文字通り不眠不休で作業を続ける。
1秒ごとに重力を増していくような身体も思考も思いも
引きずりながら前に進む、
それしか無かった。
アスランは髪が乱れることも厭わずに、両手で頭を掻き毟った。
――これが、コーディネーターという人種なのか・・・。
アスランにはメイリンとキラの衝動が痛いほど理解できた。
この事実が、自らの肉体を構成する細胞全てに存在する遺伝子と無関係であるはずがない。
アスランは頭を抱えていた掌を下ろした。
乱れた前髪の隙間から見える他者のもののように震える掌、
掌を覆う皮膚、
皮膚の下を流れる血液、
そして細胞に記された遺伝子に沈殿する黒い影さえも
透けて見えるようだった。
自己の実存の否定に拠る破壊衝動、
それがクォンとダニエルが体現した選択であり、
メイリンとキラが求めようとする選択だった。
そこまでアスランの思考が及んで、ふとケイの姿が過り、
穴が開くほど見つめていた掌で口元を押さえた。
――この実験が今もなお、続いていたとしたら・・・。
ケイはキラのクローンであるという
アスランがメンデル再調査以前から抱いていた仮説が真実であるということは、
今もプラントが無数の生命の犠牲によって成立するキャンバスの上に、
コーディネーターの未来を描き続けていることを意味する。
濁流のように混在しながら急速に流れ行く思考を振り切るように、
アスランは拳を机に叩きつけた。
噛み締めた唇から鉄の味が広がってゆく。
――何が伝えられると言うんだ・・・。
キラと共にあり続けることを望む、
ラクスに。
プラントに誇りを持つ、
イザークにディアッカに。
そして、メンデルの宿命を負う、
カガリに。