3-12 常夏の風
胸の内をゆったりと吹き抜ける、
常夏の風。
シャワーを浴びるため軍服に手を掛けたその時、
アスランは洗面台へ突っ伏した。
突然の嘔吐に、思考が追いつかない。
堰を切ったように、身体は全てを吐き出そうとする。
凍結していたものによって堰きとめられていた、
事実に対する遺伝子レベルの拒絶反応が
一気にアスランの身体を襲った。
呼吸する暇もなく、アスランの身体は嘔吐を繰り返した。
研究室で目にしたものが、
言葉が、
そしてあの事実が、
それに伴う思考が
あふれ出す。
もはや胃の中に吐き出せるものなど無くなった。
そこで、気づく。
そもそも、俺に吐き出せるものなどあったのか、と。
肩を動かし半ば強制的に呼吸をしながら、
アスランは鏡に映った自分を見据えた。
吐瀉物で汚れた口元を洗い流し、
口を結ぶ。
アスランは軍服に手を掛けた。
未だ乾ききらない鮮血がアスランの掌を染める。
湿り気と共に付着するそれから感じる温度。
それは着用していた自身の体温であるはずだが、
アスランにはクォンの体温として生々しく迫った。
ポケットからメモリーを取り出す。
――これが、はじまり・・・。
アスランは首から掛けた護り石にメモリーを引っ掛けた。
バスルームの排水溝へは紅い水が流れ込む。
その流れに足元から引かれていくような錯覚に陥る。
その色彩は、クォンの生命であり、
突きつけられた事実がもたらした末路の証明だった。
壁に両腕を突き立て、身体を支える。
付着物を洗い流す身体を打ち付ける無数の湯の粒は、
事実をアスランの身体に染込ませた。
バスルームのドア越しにコル爺の説教が飛ぶ。
用意された軍服の袖に腕を通しながら、アスランは苦笑する。
ふわりと頬を掠める常夏の風。
碧く熱い空、
やわらかな陽の光。
人は追い詰められた時、無意識の内に安息の場を求めると言う。
それは、故郷であったり、家族であったり、恋人であったり、友人であったり・・・。
アスランは思う、自分にとってそれはプラントではないのだと。
帰る場所とは出生が定めるものではなく、
月日が定めるものではなく、
それは・・・。
「まったく、自分を後回しにする癖は、もはや病気じゃなっ!」
コル爺は、フガフガと荒い息を立てながら憎まれ口で返した。
『まったく、お前ってやつは・・・。
そうやって自分を後回しにするっ!』
ふと、アスランの記憶の中の声が耳をかすめた。
同じ言葉をかけられたことがあった。
それは過去、先の大戦の前・・・。
『相手を大切にしたいなら、自分を大切にしろよな。』
文字にすればぞんざいなのであろう彼女の言葉は、
『アスランは、大切なんだからなっ!
キラやラクスや、みんなにとっても。
私にとっても、だ。』
あたたかな深い情を持って胸に染み入った。
『だから、大切にしていいんだぞ、
自分自身を。』
そう言って、カガリは指先をアスランの胸に当てた。
『大切にしてほしいんだ。』
長い睫に隠されていても、琥珀色の瞳は濡れていた。
互いに向けられる尊い思い。
しかしその立つ場所で、
世界で、
その思いは現実として叶わなかった、
あの頃。
――今も、君の言葉に俺は照らされているんだな・・・。
瞼の裏に映るそのひとにアスランは思いを馳せ、
覚悟を新たにする。
――護ると、誓った。
それはアスランの誓いであり、
願いだった。