覚悟の響き 1
コンファレンスルームの窓から暁のコックピットへ視線を馳せていたムゥに
マリューはそっとコーヒーを差し出した。
「サンキュ。」
そう言って快活な笑みを浮かべたムゥは視線を戻し、
その様子は、正面に位置する暁よりも遥かに遠くを見詰めているかのようだった。「何を・・・見ているの。」
マリューの声を聴くだけで心が穏やかになる、
平和という時を何気ない今に感じて
ムゥは微笑んだ。「あのシステムに、何が託されているのかな・・・ってね。」
マリューはムゥが何気なく口にした、“託されている”という言葉に瞳を見開いた。
何かは分からないが、
誰が、誰を思って託したかは明白だった。
ウズミが、カガりを思って遺したのであろう。すると今度は、マリューがあっと声を漏らして口元を押さえた。
その仕草を解せず瞬きを繰り返すムゥに、マリューは笑みを深めて応えた。「じゃぁ、あの時、アスラン君があの会議に出席できなかったら・・・・。
あの会議で、首長や軍の上層部を黙らせなければ・・・。
もしかしたら、カガリさんは今、あそこに居られなかったかもしれないわ。」あの時、あの会議――
マリューの言葉にムゥは頷き、
肩を抱いて暁へ視線を馳せた。
その会議が開かれることになった発端は、
何気ないアスハ代表の一言だった。『いざと言うときは、私も暁で出るからな。』
問題となったのは、この発言が何処で成されたかではなく、
もっと本質的なことだった。
アスハ代表の真直ぐな気質を知る者であれば、
その言葉が冗談ではないことぐらい分かる。
むしろ、彼女は本気で戦場を駆ける気だ。有事の場合に、戦場に立つ覚悟があることと、
現実として戦場へ立つことは全く次元が異なる話である。
何故なら、戦場に立てば命を失う危険性、
つまりオーブが代表首長を失う危険性が桁違いに高まるからである。この発言を、他の首長や軍の上層部が見過ごす筈が無かった。
代表首長をお護りすることが我らの務めであると、
代表首長自らがMSを繰り、戦場を駆けるとは言語道断であると、
代表首長のお力を借りずとも、強きオーブを作り上げているのだと、
彼等の主張はこうだった。
他省庁の官僚までも巻き込み多くの者が、
アスハ代表の発言に異を唱える反対派として、この主張に続いた。
政界や軍組織内で覇権を握るものが多かったことも、少なからず影響していたであろう。一方で、アスハ代表の発言を擁護する賛成派が声をあげた。
だが、代表首長のご意志を尊重すべきとの主張は、少数ゆえに小さく、
それでも確実に、両者の間で摩擦が起こり、やがて火の粉が散る程になっていった。両者は主張を一歩も譲らないが故に平行線を辿り、
このままでは埒が明かないと、反対派、賛成派はそれぞれ支持者を獲得しようと
積極的に働きかけるようになった。
裏返せば、主張の正当性を示し協議していくのではなく、
勢力の大きさ、つまり数で正当性を主張し始めたのである。ムゥはカガリと共に戦った経験があるということで、
反対派、賛成派からそれぞれ陣営に入るように、しつこいほどに声を掛けられていた。
一方は、代表の力量不足から暁を操ることは困難であることを証言するようにと、
他方は、代表は十分な資質と能力を持ち、共に戦うことで奮い立つ士気を証明するようにと。
同様の理由からであろう、ムゥは軍内部でアスランが両陣営に口説かれている場面を多々見かけた。
その時ムゥを驚かせたのは、アスランがポーカーフェイスを保ったまま
賛成派、反対派どちらへも加わらず中立を貫いたことである。
アスランのことである、当然カガリの肩を持ち賛成派へ加わるであろう筈なのに・・・。――アスランとしての意見と、准将としての判断は異なるって訳か・・・?
反対派、賛成派の双方にとっては、オーブが誇るMSパイロットの証言を得ることができず、
現実的な根拠を先送りにしたまま、感情が先行した小競り合いが至る所で繰り返され、――そして今に至る・・・か。
最初に言い出したのは誰であろうか、
この会議で最後の決着をつけると。
文字通り紛糾する会議室の隅で、
ムゥはイスの背もたれに寄りかかり天井を仰ぎ見た。
この場にカガリがいないことがせめてもの救いで、
もし彼女が居れば、会議はさらに感情的なものへと変質したであろう。
ふいに漏れそうになる溜息を、口元を引き締め押し込め、
それとなく辺りを見回せば、反対派の幕僚長が表情を微かに上気させていた。
議事録だけ読めばさぞ理性的な発言であっても、
今耳にする幕僚長の声は、抑えきれぬ感情が溢れんばかりに込められていた。
アスハ代表の御身を危険に晒す訳にはゆかぬ、と。賛成派はすかさず幕僚長に反論をする。
アスハ代表の御意志を無視して御身だけをお護りすることが、我々の務めであろうかと。
そうでは無いはずだと。この文官の発言は、反対派の大将によって一蹴される。
現実を知らん者は、理想論を語ると。――いつまで続くんだ、これ・・・。
ムゥは瞼を閉じて、思わず漏れた溜息を打ち消すように
慌てて頭を振った
会議室の中央に鎮座するキサカ総帥は、厳格に口元を引き締めている。
何も発言しないことから、事の成り行きを見守ることに徹しているのであろう。――代表首長を護りたいって気持ちは同じなのに、
なーんでこう、面倒なことになるかなぁ〜。
「フラガ大佐はどう思われるのかね。」
突然質問が振られ、内容を全く聞いていなかったムゥはとりあえず起立し、
落ち着き払った完璧な笑みを浮かべて切り返した。
「と、言いますと。」「アスハ代表のMSの技能について、だ。」
と、中立的立場で議長を務める将官が言葉を加え、
ムゥは意見を述べた。「そうですねぇ。
センスにおいてはスバ抜けていると考えます。
数回のシュミレーションで、完璧に実戦をこなしましたから。
技術においては、現在のエースパイロットである
アンリ・ファウステン中尉と競ると考えます。」誰の耳にも率直に響くムゥの言葉は俄かにざわめきを呼んだ。
「まぁ、訓練の教官が良かったからじゃ無いかと。」
そのムゥの発言に、微かにアスランの瞳が見開かれる。
ムゥはアスランから向けられた鋭い視線を一切無視して、
「ほぅ、その教官とは誰かね。」
何も知らない議長からの質問に、あっさりと爆弾を落とした。「ザラ准将ですよ。」
会議室内の注目が一斉にアスランへ集中し、ムゥは微かに口角を上げた。
これまで中立と沈黙を貫いてきたアスランの本音を引きずり出してやろう、
それはムゥの悪戯心。――さぁ、どう出るザラ准将。
まるで実況中継するアナウンサーのように胸の内で呟いて、
ムゥは上がりっぱなしの口角を隠すため、思案する振りをして口元に手を当てた。
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