12-26 一夜城
一夜城――旧世紀、東洋の島国のとある武将が打った奇策。
その武将は、一夜にして城が現れたかのように見せかけ、
敵を翻弄し、勝利を収めた。まさに一夜城のような衝撃が艦を襲った。
戦艦クラスの熱源であれば、はるか前方であってもレーダーで探知できる。
しかしその戦艦はまるで瞬間移動をしたかのように出現したのだ。「戦艦…がっ、現れましたっ。」
オペレーターのその声が無意味なほど、目の前に。
まるで敵の存在に気づいていなかった、そんなそぶりを見せるため、
イザークとディアッカはブリッジではなく艦長室に控え、
カガリとムゥもその存在を隠すように同席していた。「来たな。」
イザークは小さくつぶやくと、ブリッジの全面に映し出された戦艦をスキャニングするように眺める。
「見たことねぇ艦だ。」
ディアッカの脳内アーカイブにもない艦、
それは重厚な輝きを放ちながらも、どこか陽炎のような不確かさを印象付ける。
たちどころに消えてしまいそうな。
そこに生命が存在しないような。”ごきげんよう、ジュール隊の諸君。”
所属不明の艦からの入電。
現れたのは空色の瞳に空色の髪をした若い男だった。
年齢はイザークよりもやや上だろう。
目元を細め、彼は言葉をつないだ。”茶番はよさないか。
とっくに気づいていたのであろう、こちらの存在に。”ディアッカは片側の口角を上げるとイザークの肩に手を置いた。
「行ってやろうぜ、
向こうさんがお待ちだ。」イザークは立ち上がると、後に続こうとしたカガリとムゥを視線で制した。
相手側の要求はわかりきっている、
だが、交渉の余地を最初から潰すのは馬鹿だ。
事が起きなければそれが最善なのだから。
何か言いたげなカガリもイザークのまなざしに込められた意図を無碍にすることはできず、
胸元にあてた左手を右手で包み、うなずく。「それ、お前の癖だな。」
イザークに指摘され、カガリはきょとんとした表情を浮かべる。
イザークがカガリの手元を指せば、
”あぁ”とカガリは両手を解いて目の前で開いて見せた。「何かを信じる時、かな。
こうしちゃうんだ。」――何かじゃなくて…だろ?
と、胸の内でちゃかしたディアッカがムゥに視線を移せば、ひらひらを片手を振っていた。
”せいぜい時間稼ぎしろよ”、そんな表情に込められたプレッシャーに
ディアッカは大げさに肩をすくめて見せた。
”艦長はバスタイムかな。
では、こちらも暫しくつろがせていただく。”そう言って、彼は後方に向かって滑らかに手を動かす。
すると、戦艦には不似合いな優雅な旋律が流れだした。
どうやらブリッジに楽団を控えさせていたようだ。「全く、変わったやつだ。
話が通じるといいんだが。」イザークが吐き捨てると、
「お前、音楽はからきしダメじゃん。」
ディアッカが茶化し、
「それはお前も同じだろうっ。」
ムキになったイザークを置いて
「ハイハイ、艦長、急ぎましょう。」
ディアッカは艦長室を後にした。
常と変らないじゃれあいのような掛け合い、
その底には張り詰めた弦のような緊張があった。
ブリッジにイザークが現れると一瞬にしてブリッジの空気が変わる。
その波紋のような衝撃は画面向こうの彼にも届いたようで、
指揮者のように旋律を掌に収めると、改めて向き合った。
先に口を開いたのはイザークだった。「お待たせした。
ジュール隊隊長、イザーク・ジュールだ。」≪噂に違わぬ、ザフトの若き皇帝のようだ。≫
彼の戯言を無視してイザークは続ける。
「救難信号は出ていないようだが、貴艦でトラブルが発生したのなら人命救助は厭わぬ。
用件を聞こう。
だが、先ずは名乗れ。」彼はバイオリンの弦を弾いたように笑みを浮かべた。
≪貴公は誰にでも手を差し伸べるのだな、
メンデルでそうしたように。≫明らさま含みは挑発的だったが、イザークの纏う空気は揺れない。
「我々は次の任務が控えている故、一刻も早く祖国へ帰還する必要がある。
用件が無いのであればこれで失礼する。」通信を切れとオペレーターに指示を出す声に彼の声が重なる。
≪これは失礼した。
こちらの要求など伝えなくとも、聡明な貴公であれば理解していると、
それは私の思違いであったようだ。≫オペレーターの視線にイザークが軽く手を上げる。
それは継続を意味していた。
言葉を待つイザークに、彼は弦の上に弓を滑らせるように応えた。≪姫を、
カガリ・ユラ・アスハを返していただこう。≫イザークは直球を打ち返す、そう、それはいつもディアッカにそうするように。
「クルーにそのような名の者はいないが。」
≪だから茶番は止めようと言ったであろう。
こちらの要求は理解された、その上での返答と捉えてよろしいかな。≫イザークの返答はどこまでも真直ぐだ。
「何処の誰とも分らぬ輩の、
それも人命救助でも無い要求を飲めと、それでは筋が通らない。
こちらは用件無しと解釈しこの場を失礼する。」言い終わるや否や、イザークは”通信を切断し発進せよ”と命を出す。
しかし、この艦の行き先を阻む鈍やかな光。
布陣された複数のMSは、艦を手中に収めんとばかりに構えていた。「本性を現したな。」
イザークは不敵な笑みを浮かべると、通信を再開させる。
「これはこれは、何をしようと言うのか。」
≪貴公は色恋には疎いタイプであろうな。≫
ここで噴き出したのはイザークの傍に控えていたディアッカと、
艦長室に身を隠していたムゥだけだった。「言っている意味が分らんな。」
≪いちいち本音を求めても答えは返ってこない。
むしろ、レディに嫌われる。≫妖艶な笑みを浮かべる彼に、イザークはやはり直球を返す。
「このMSの配備の真意を問う。
我々に対する戦意か。」すると彼は瞳を閉じて細い指を揺らした。
開いた瞳には、明らかな意思を持った眼光を湛えていた。≪戦意を抱いているのはむしろ、貴公等であろう。≫
一瞬にして喉を締め上げるような緊張感が互いの艦を包む。
傍に控えるクルー達は息をひそめ、前を見据えたまま手に浮かぶ汗をただ感じていた。≪貴公は、オーブ首長国連合の代表首長を護送する大義名分があると思っているのであろう。
しかし、大義はこちらにこそある。≫聞き耳を立てるクルー達の脳裏には一様に疑問が浮かんだことだろう、
しかし、イザークは問い返さない、貴様の大義とは何かと。――そんなことをすれば、奴は何をしゃべりだすか分らんぞ。
Freedom trailはごく一部の者しか知りえぬトップシークレットである。
そうしなければ、微量でも死に至らしめる劇薬なのだから。
イザークの脳裏に失った物たちの面影が一瞬よぎった。
その様子を見つめる瞳が愉快そうにゆがんだ。≪”そういうこと”、か。≫
明らかな含みに、イザークは表情を変えぬまま、しかし踵に崖が迫るような思いに駆られる。
ここで奴にFreedom trailの存在を暴露されれば、
この艦の統制は一気に崩れ、クルーを守ることもカガリを本国まで無事に送り届けることも困難を極めるだろう。――どうしたものか…。
なぜだろう、
追いつめられた時に浮かぶのはいつも
冷徹な微笑みだ。
アイスブルーの瞳に灼熱の炎を湛えて。
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