12-23 決別
「う〜。」ヴィーノはチェス盤を前に腕組をして唸った。
チェス盤を挟んだ反対側は空席になっている。
ヴィーノが熟考を始めたため、ドリンクパックを取りに席を立ったのだ。
取り囲むギャラリーは、ヴィーノと対戦相手の両陣営に分かれ、盤上の戦いの行く末を見守っている。膠着状態が続く盤上の横をシンが通りすぎ、
そして訝しげな顔でチェス盤に戻ってきた。
これだけギャラリーが集まるなら、ジュール隊に語り継がれる程の名戦なのだろうと思ったのだが、
シンの目には、次のヴィーノの一手で勝敗が決することが明らかに映ったのだ。
いや、恐らく、チェスのルールを知っている誰もが分かる手だ。「何やってるんだよ、ヴィーノ。」
半ばあきれた声でシンは黒のナイトを手に取り
「チェックメイト。」
硬質な音とともにナイトを進めた。
しかし、「わーだめだ!そこにナイトはだめだって!」
ヴィーノは慌てた声で黒のナイトを元の位置に戻した。
“意味分かんねー”と視線を寄越してくるシンに、ヴィーノは口を尖らせる。「この黒のナイトは白のナイトと幼馴染だから、ダメだんな。」
「はぁ?」
“何だその設定は”とシンは目を丸くするが、
ギャラリーを見れば、“そうだそうだ”と言わんばかりに頷いているのが見える。
“幼馴染なら拳で対決だ”とか、“どちらかしか生き残れないなんてナンセンスだ、ここは話し合いで”とか、
ルールに無関係な設定に合わせて話が盛り上がっている。「バカバカしい。」
シンは思い浮かんだままの言葉を零す。
すると、ヴィーノは凛とした眼差しを向けて言い切った。「俺たちは平和的解決を目指しているんだ!」
――チェスの対戦に平和的解決も何もあるかよ・・・。
眉間に皺を寄せたシンは、はっと我に返る。
こんなバカバカしいチェスを、これだけの人数が大真面目にやっているのだ、
空席になっている対戦相手は・・・「おい、ヴィーノ。
次の手は浮かんだか?」人垣の向こうから聴こえたのは、シンが今、最も会いたくない奴の声だった。
――やっべぇっ。
シンは自分の姿を見られる前にその場を立ち去ろうとするが、
カガリの傍に控えていたルナが翻った赤服を見逃す筈が無い。「あーー!!シン、いたーー!!」
ルナの声に顔を上げたカガリと視線が重なり、
あからさまに不快な表情を浮かべたシンは人垣を掻き分け姿をくらます。
大声を上げながらシンを追いかけるルナ、
それに続こうとしたカガリは「待ってましたぁ、カガリ様っ!」
とばかりにギャラリーによって席に押し込まれ
“おっ、おい。私はシンに用があるんだっ。”と言っても
カガリが戻ってきた事により湧きだした歓声にかき消される始末。
そんなカガリに目配せをして、メイリンもルナを追いかけて行った。
カガリは盛大な溜息をつくと「よーし、早期解決を目指すぞ!」
と宣言し、袖を捲り上げた。
同時刻。
艦長室ではイザークとディアッカが報告書の作成を漸く終えた所であった。
作成では無く“捏造”と言った方が正確である。
このメンデルで発見できた事がある、
そしてそれは、事実のままに本国に報告すべき内容を越えていたのだ。
Freedom trailに関する全ての案件はクライン議長直属の組織として独立して動いている。
故に、本来であればラクスに報告した上で次の動きに移るべきだ。
だが、クライン議長が何者かに拉致されている状況下でどう動くべきなのか、
イザークとディアッカは結論を出せずにいた。
このまま本国に帰還してもクライン議長以外には形式的な報告以上の事は憚られる。
だが、そうなればクライン議長不在の今、ジュール隊の次なる任務は
恐らくバルティカとの戦争に足を突っ込む事は避けられないだろう。
何も知らない者から見れば、廃棄コロニーであるメンデルの再調査よりも
まさに今、世界を巻き込みつつある戦争の方が遥かに重要性が大きいからだ。メンデルは単なる廃棄コロニーでは無く、
その奥に眠るfreedom trailという化け物はどんな戦争よりも壊滅的な破壊力を持つ。
それだけではない、
Freedom trailには惹きつけて止まない輝きがある、
犠牲も欲望も憎しみも悲しみも破壊も、すべてを眩ませるような光が。
それを公には出来ず、かつクライン議長が不在の今、ジュール隊に出来る次なる1手は限られている。
だが、裏を返せばクライン議長を救出できれば道は開ける。故に、イザークとディアッカが出した答えは――
「お疲れ様です。」
そう言って、メイリンはホットコーヒーの入ったタンブラーを手渡した。
“ありがとう”そう言って受け取った彼の眼の下には、青白い影が浮かんでいた。
メイリンはルナの後を追ってシンを探す道すがら、
差しいれのコーヒーと共にブリッジに顔を出したのだ。
メイリンにカガリと過ごす時間をと、シフトを交代してくれたクル―にお礼を言うために。「すみません、私のせいで・・・。
連勤で寝不足になっちゃいましたよね。」視線を下げたメイリンに、彼は“大丈夫、大丈夫”と照れたような微笑みを浮かべると当時に
漏れたあくびに掌を口元に当てた。「あとは真直ぐ本国を目指すだけだし、自動運転に切り替わってるから楽だよ。」
そう言えばと、メイリンはブリッジを見渡した。
通常操縦席に着く筈のクルーの数が明らかに少ないのが分かる。
メイリンは少しほっとしたような表情を浮かべると、相手を気遣った。「お腹、すいてませんか?
サンドイッチか何かお持ちしましょうか?」「や、いいよ、自分で取ってくるし。
その代り、ちょっとだけ。」“もちろんです!”そう言ってメイリンは代わりに席に着いた。
ブリッジを出て行く姿を見送った後に持ち場に向き合うと、
モードをオートからマニュアルに変更し、1からチェックを始める。
職業病とも言える癖で通常のルーチン作業を始めてしまう自分の指先に苦笑した。
もともとメイリンはオートモードで作業をしていたが、それがマニュアルに変わったのは戦後のこと。
きっかけとなったのは、意外にもキラの影響だった。
MSのOSの設定も全て自らの手で行うキラに、メイリンは問うたことがある、
何故システムエンジニアに任せないのか、と。
メイリン自信はエンジニアとしての矜持を持っている、
しかし、キラの日ごろの真摯な態度からエンジニアの手腕に対する不信感は抱かない。
そこにメイリンの疑問が生じたのだ。
するとキラはメイリンの立場を思いやるように困ったような笑みを浮かべて、肩をすくめた。『一番の理由は、こうやって手を動かすのが好き・・・だからかな。』
その真直ぐなキラの言葉はメイリンにそのまま届きメイリンは微笑んだ。
その気持ちが分かるのだ、
情報処理能力に長けているだけじゃない、
任務だと分かっていてもそれだけの感情じゃない、
自分はこれが好きなんだと。
メイリンと同じ匂いを感じたキラは、少し遠慮がちに、しかし突っ込んだ話を始めた。『もちろん、オートは便利だし情報の信憑性を疑っている訳じゃないよ。
でも、オートだと結果は分かってもシステムの中の状況までは分からないからね。』確かにオートだと、例えて言うなら体の表面は分かっても体内の状況までは分からない。
もちろん画面に表示される結果、そこまでの仮定から大体の状況は推し測れるが、『なんかこう、さ。
マニュアルで作業した方が、指先に情報の感覚を感じるっていうか・・・。』まるで子どものように目を輝かせて語るキラにメイリンはくすくすと笑みを零した。
一方のキラは、困ったような表情を浮かべて頭を掻いた。『ごめん、こんな事言うと引くよね。』
するとメイリンは首を振り、その拍子にツインテールが軽やかに揺れた。
『分かります、すぅっっっごく。
って言ったら、引いちゃいますか?』
それ以来、メイリンは通常業務においても折りを見てオートからマニュアルに切り替えて作業している。
ふと当時のキラとのやり取りを思い出したメイリンは切ない笑みを浮かべた。
いくらfreedom trailに触れて錯乱していたとは言え、
キラを自らの手で傷つけてしまった事実は変わらない。
カガリによって今を取り戻したメイリンは、だからこそ自分にできる事を探していた。――私じゃ、キラさんの力にはなれないのかな・・・。
浅い溜息と共に作業を再開させたメイリンの手が止まる。
――え・・・?
オートモードで表示されていた結果とマニュアルで導き出される結果に
極僅かではあるが誤差があったのだ。
現在通過中の場所は公空域であり、航路はプラントへ向かって最もシンプルな道を選んでいる筈である。
自動操縦に切り替えられるのがその証拠であり、
この状況でオートとマニュアルで誤差が出ることなどあり得ない。「・・・どういうこと・・・?」
メイリンは検算するように作業を一からやり直した。
「もう、何処行ったのよっ!」
完全にシンに巻かれたルナは、
仕切り直しとばかりにダイニングに向かいドリンクパックを口にした。その頃ディアッカはムゥから得た情報を基にシンの部屋にもぐりこみ
例の写真の情報をコピーしていた。「へぇ・・・、おっさんの言うとおりじゃねぇか。」
これでシンを揺すれるだけではなく、アスランへの取引条件にもなる、
その価値を算段するだけで笑いが止まらなくなったのは言うまでも無い。同時刻。
イザークは艦長室でエスプレッソの香りを楽しむように瞳を閉じ、
オープンスペースではヴィーノ、カガリの両陣営が抱き合いなら終戦を迎えていた。ありふれた日常の穏やかさが崩れたのは、
メイリンの一言がきっかけだった。「あの・・・、本当にこの艦はプラントへ向かっているのでしょうか。」
←Back Next→
Top Chapter 12 Blog(物語の舞台裏)![]()