9-30 行ってきますのキス







「DDR部隊隊長、アスラン・ザラ。
バルティカへ出立いたします。」

最高敬意を表する敬礼をするアスランに、
カガリはたおやかな微笑みを浮かべて頷いた。




アスランの出立は早朝であったため、
簡易的な挨拶でソフィアを後にしようとしたアスランではあったが、
せっかくだからとホテルに宿泊していたオーブ関係者がロビーに集まりだし
小規模ではあるが賑やかな見送りとなった。
カガリの背後にはウィルを抱いたムゥとマリューが控えており、
ことさら空気を和やかにさせた。
この家族のようなあたたかさとおおらかさは、
オーブならではのものであるとアスランは思う。
ザフトでは、先ず考えられない光景だ。

ソフィア建国式典で勃発したテロの影響を考慮し、
EPU・オーブ間の協議によりDDR部隊隊長であるアスランの職務復帰が早められた。
本来であれば、建国式典後に予定されていた各会談へも出席する予定ではあったが、
やむを得ない判断であることはアスランも理解していた。
むしろ、このテロを受けて地球連合に与する国々は昨夜晩くに帰国の途に就いているため
会談の開催自体が危ぶまれている。
しかし、そんな状況であるからこそアスランはこの場に留まりたいと思うのだが、
その意思はカガリの微笑みの前に貫き通すことは叶わない。



「行ってこい。
彼の地で平和を願う人々の力に、なってほしい。」

カガリの言葉に返事を返すアスランは精悍な顔つきをしていて
本当に頼もしいと、カガリは心から思う。
そして言葉の通り、アスランの力は平和を願う人々のために発揮されるべきなんだと
カガリは思っていた。
その想いの先には、EPUの存在も
今のカガリには見えていた。

「では、失礼します。」

そう言って敬礼を解いたアスランに向かって、ムゥの腕から飛び降りたウィルが走り寄った。

「パパー!!。」

そう言って、アスランにひしっと抱きついたウィルに
ギャラリーは驚きを隠せなかったが、アスランは気に留めることも無かった。
片膝をついて目線を同じくし頭を撫でてやると、ウィルは漸く顔を上げた。
その瞳には大粒の涙が今にも零れそうなほど溜まっていた。

「大丈夫、必ず戻るから。」

安心させるようにアスランが優しく諭すと、
ウィルは泣き顔のまま頷いて、その拍子に涙がぽたぽたと床を濡らした。
“そうだ。”と言って、アスランはウィルに語りかけた。

「ウィルに頼みがある。」

真面目な顔つきに変わったアスランを見て、ウィルもキリリとした顔になる。

「俺は・・・、」

“カガリの”と言おうとしてアスランは戸惑う。
ウィルに伝えるなら“カガリの”と言う方がいいだろうが、
この場にふさわしくない呼び方であろう。
だが、アスランは言葉を決めると真直ぐにウィルの目を見て告げた。

「俺はカガリの傍にはいられないから。
だから、ウィルにはカガリを護ってほしい。
約束できるか。」

ウィルは男同士の約束なのだと直観的に思ったのだろう。
ごしごしと涙を拭いて頷いた顔は頼もしく、
大きな瞳には勇敢さを思わせる眼光が煌めいていて、
アスランの笑みが深まる。

――ウィルは強い。

「約束する。
僕、ママを護るよっ。」

そう言って小指を差し出したウィルとアスランは指きりをした。



一方、ギャラリーはアスランとウィルのまさかの発言に驚きの声を禁じえず、
アスランとウィルとカガリに視線を向けては首を捻っている。
“隠し子・・・?”
“まさか。”
“ママゴトをしているだけ・・・か?”
“なんだか微笑ましいですわ。”
ギャラリーからそんな声が聴こえては、ムゥとマリューは顔を合わせて微笑んだ。



アスランはウィルと約束を交わすと、小さな頭にぽんっと掌を乗せた。

「じゃ、行ってくる。
カガリのことを頼んだぞ。」

「うんっ。」

元気いっぱいにウィルが頷いたのを確認すると
アスランは静かにカガリを捉えた。
そこには、陽の光のようにあたたかく見詰めるカガリがいて
アスランの心を優しく照らした。


ほんの数秒に満たない時間、アスランとカガリは瞳を重ねた。
まるで、描いた夢を重ねるように。


そしてもう一度アスランが“失礼します。”と言い、背を向けた時
軍服の裾を引っ張られ、足が止まる。
振り返ればウィルが丸い瞳でアスランを見上げながら、
無垢な爆弾を落とした。

「ねぇ、行ってきますのキスは?」

アスランもカガリもギャラリーも、ウィルの言っている意味を解せずに
頭に疑問符をのせている。
ただ、ムゥとマリューが笑いをかみ殺している他は。

ウィルは直もアスランの裾を引っ張った。

「ねぇ、行ってきますのキスだよー。
ママにしてあげなくちゃ、ね。」

そう言って、無邪気にウィルはカガリの手を引っ張って
アスランとの距離を縮める。
手を伸ばさなくても抱きしめられる距離に、
互いの頬がうっすらと染まる。

――う、嘘だろ・・・っ!!

2人同時に同じ言葉を胸の内で叫んだ時、
ムゥの爆笑がその場に響いた。
その瞬間、全ての仕掛け人はムゥであることに気付いたアスランは
鋭利な視線をムゥに突き刺したが、ムゥは口をぱくぱくさせてこう返した。
“キ・ス・し・て・や・れ・よ!パ・パ!!”
アスランが怒りに震える拳を握りしめた時、ウィルのか細い声が足元から聴こえた。

「キス・・・しないの・・・?
おまじないなんだよ、ちゃんと帰ってくるって。」

おまじないなのに、
そう言って俯いたウィルにアスランとカガリの焦りは最高潮に達した。

「ちゃんと、帰ってくるから・・・、その・・・。」

と言ったままアスランは二の句が継げずにいて
カガリが引き受けるように言葉を重ねた。

「私だって、アスランが無事に帰ってくるって、信じてるぞっ!
ただ・・・、ほら、キっ、キスは・・・みんなが見てたら恥ずかしい、だろっ。」

耳まで赤くしながら言い返すカガリに、ムゥの爆笑は加速し
伝染するようにギャラリーも笑いをかみ殺すことが出来ずに漏れだす。
いたたまれなくなってきたアスランとカガリは、
どうしたらウィルを納得させることができるのかと顔を見合わせた時、
ウィルは周りのみんなに聴こえるように、大きな声で言った。

「パパとママ、行ってきますのキスするから、
みんな目閉じてー!!」

――えっ!!

アスランとカガリは同時にウィルを見れば、
ウィルは両手で目を隠して

「パパ、ママ、もういいよー。」

と言ってはキスしろと言っている。
周囲はと言えば、本来であれば身分違いの代表と准将が公衆の面前でキスするなど
許される筈が無いことは分かっていても、
ウィルが織りなすくすぐったくも幸福な空気に心がおおらかになったのであろう、
ウィルの言うとおりに皆、瞳を閉じている。
一様に、笑いを禁じえない口元を両手で押さえて。

何故か、見送りのロビーに沈黙が落ちて
アスランとカガリは見詰め合ったまま動けずにいた。

――どうしよう。

――どうすればいい。

同じことを自分の胸に問いかける2人に、ウィルがさらなる追い打ちをかける。

「ねぇ、まだぁ?」

そんなウィルに、アスランとカガリは
こんな性格の人物を良く知っていると気付く。
キラとラクスだ。

――あの2人の影響を受けすぎだろっ。

なんて事を考えていても、この場をくぐり抜けることは出来ない。
耳まで赤くしたカガリを目の前にして、アスランは意を決した。




 

ウィルに嘘はつきたくないが、アスランとキスする訳にはいかない、
そうカガリがぐるぐると思考を巡らせていた時、
ふいにアスランの顔が近づいてきた。
鼓動が跳ねて、息が止まる。

――うっ、嘘だろ・・・っ!

そう思っているのに、体はキスを受け入れるように動かない。
近づいてくるアスランの瞳の色彩にどうしようもなく惹かれて、目を離せない。
このまま重なってしまいたいとさえ、想っているのかもしれない。
こんな場所で、
こんな時に。

しかし落とされたのはアスランのキスでは無く、

“ごめん。”

その一言で、

「えっ。」

カガリは儚い声を上げる。

アスランはそのままカガリの手を取ると、
手の甲に唇を寄せた。






 


大きく手を振るウィルに見送られ、アスランは出立した。
残されたカガリはアスランに取られた方の手を包むように胸に当てていた。
あの時のアスランは、まるで何処かの国の皇太子のように洗練された動きで手を取って
そうすることが自然なように唇を寄せた。

キスされるのだと、思った。

だけど、触れる手前でアスランは動きを止めた。
それがアスランの優しさなのだと分かってしまうから、
切なさに胸が軋む。

アスランの背中が見えなくなって、この場を辞すように秘書官から促された時
カガリは誰にも届かぬ言葉を唇に乗せた。

“必ず帰ってこいよ。”




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