9-3 思い出の住む家



オーブに帰国する前、
ジュール隊にメンデル調査協力として組していた時、
アスランはラクスとキラと共に、プラント国立共同墓地を訪れた。
両親に花を手向けたその足で、今度は自宅へと戻るつもりだった。

ラクスが手配してくれた車の運転手に行き先を伝えると、
彼は苦味を帯びた表情を浮かべた。
どうしたのかと問うても、彼は何も応えず、そして静かに車を発進させた。

あの時浮かべた彼の表情も、
何も言わなかった理由も、
目的地に着いて、全て理解できた。

アスランは、思い出深い家を車窓から見上げ、そして言葉を失った。
まるで観光名所のように、いや、事実そうなのであろう、
家の敷地から1メートルも離れない場所に、勝手に石標が立てられ
恭しく父を讃える言葉が刻まれていた。
その傍で、嬉々として記念写真を撮影するグループが見えた。
その中には、第一大戦の記憶などおぼろげなのではないかと思われるような子どもも混じっている。

「どう、されますか。」

運転手の言葉が深く重く、胸に沈み込む。
アスランは、この家の所有者であるのだから、家に入る正当な権利を持っている。
しかし、その権利を行使し、このまま正面から家に入ることの意味が分からない程子どもでは無い。
アスランはやりきれなさに奥歯を噛み締め、視線を流す。

「ディナーを終えてから、また来ます。」





そうすることしか出来なかった。
時計の針が深夜をまわり、宵闇に紛れて家の主は帰宅した。
開いた扉は玄関ではなく、使用人でさえ滅多に開けることの無かった通用口の扉だった。
開いた先で、迎え入れる家族も人も何も無い、
ただのスペースに踏み入れて、鈍い靴音だけが耳に残る。

「ただいま。」

この声は、響く事無く床に落ちる。
寂しさは覚えなかった。
ただ、悔しさがこみ上げた。
この家で、幸せを思い描いた家族の夢を実現できなかった自分に。




階段を登る足音が、高い天井に響いた。
何度も誘いはあった。
パトリックの思想を理想に掲げ、父の姿を歪曲化し神格化した急進派は、
その派閥の名をパトリックと愛国心を重ね合わせ、パトリオットとした。
彼らから、ある時は派閥に組するようにと、そしてある時は、この家を売って欲しいと。

踊り場にある一面のガラスから差し込む月光が、今日は鋭く感じるのは何故だろう。

パトリオットから声が掛かる度に、丁重に断ってきた。
プラントに帰るつもりはない、と。
そして、この家を手放すつもりはない、と。
家を売り渡せば、間違いなく思想の至上のために利用されるであろうことは目に見えていた。
そうなれば、パトリックの等身大の肖像が益々現実から乖離していく。



父の書斎の扉に手を掛ける。
古風な木製の扉は重厚な音を立てて開かれ、その先から薫る本の匂いに過去が降る。
厳格に口元を引き結び、黙々と本に視線を落とす父の姿――。
アンティーク調の机の上にはいつも、母の好きな花が活けてあった。
瞬きをすれば消える過去は、瞼を閉じれば甦る。

『どうした、アスラン。』
『一緒にお茶にいたしましょう。』

アスランはビブラートして響く過去を耳に、真直ぐに空席の机を見据えた。

「父上、母上・・・。」





「確か、この辺りか。」

アスランはアルバムが仕舞われた書棚の脇にある引き出しを開けた。
凝り性だったパトリックは、撮影した写真をデータで保存する他、古風にも現像することを好んだ。
議長を務めた時も、デスクの上に飾られた家族の写真がデータではなく現像されたものであったのは、パトリックの拘りからだった。
引き出しに理路整然と並ぶ器具に興味を引かれながらも、目的の物を探す。

「あった・・・。」

下から二番目の引き出しの中に、それはあった。
アスランは、行儀よく並んだ旧式のメモリーの内目的のものをを取り出して、持ち込んだPCに接続させた。
そして、メモリーの中に保存されている膨大な量のデータの内、映像データを無作為に選び出し、再生した。

ケイがキラのクローンであることはほぼ間違いが無い。
その確証の分だけ、アスランの中で膨れ上がる恐怖があった。
それは、マキャベリは、パトリックの遺伝子をその肉体の内に持っているのではないかという疑念だった。
アスラン自身は、キラやラクス程勘が鋭いとは思っていないし、
むしろ勘よりも理論を根拠に行動する気質である。
それでも、マキャベリとパトリックの可視化されない関係性を確信している自分自身に、アスランは戸惑っていた。
故に、プラントに滞在している間に過去の映像データを持ち帰ろうと思ったのだ。
パトリックの肉声を入手し、分析するために。

画面に映し出されたのは、絵に描いたようなあたたかな家庭の映像だった。
ソファーに腰掛けた父と、寄り添うような母と、母に抱かれた幼い自分。
と、アスランは瞳を見開いた。
過去があまりに鮮明に、今に降り注いでいく。

――嘘・・・だろ。

母に抱かれたまま、あの頃の自分は父の首にネクタイを掛け、たどたどしい手付きでネクタイを結っていく。
時々、耳元で内緒話をするように母が自分に語りかけ、大きく頷きながらネクタイを取る自分。

『最後にここを通して・・・できたっ。』
『ありがとう。よくできたな、アスラン。』

父の大きな掌に頭を撫でられて、くすぐったそうな笑みを浮かべる自分と、聖母のように優しく微笑む母。
そして、不意に響いたのはカガリの声。

『いい思い出だな。』

キラとラクスの婚約レセプションが行われたあの日の夜、
中庭のベンチに座ってカガリに話したネクタイの思い出。
ケイとマキャベリによって無理矢理引き出された過去が呼び起こしたのは、

「いい思い出・・・か。」

アスランは無意識に零れた言葉に苦笑し、足を寛げて書斎を見渡した。
思い出の住む家の中で甦る記憶は、未だ苦味に満ちている。
思い出は懐かしい輝きを放つのに、記憶を辿る道筋を通るたびに痛みを覚える。
それでも、苦味と痛みに目を伏せず思い出を大切にできたらと、初めて思うことができた。





「で、それがそのネクタイなんですか?」

アンリはナポリタンで色づいた唇をナプキンで拭って問うた。
アスランは懐かしさを映した瞳を細め、照れくさそうに笑った。
いつもは隙が無い程完璧に仕事をさばいていく上司だが、こうして見れば歳も然程変わらない青年なのだと、アンリは改めて思う。

「じゃぁ明日から、ザラ隊は全員ワイシャツにネクタイ着用ってことで!」

快活に笑ったアンリは、早速携帯端末を取り出しメーリングリストで一斉送信しようとした。

「えっ、おいっ!」

底抜けの明るさで敵を作らず押し通す、そんなアンリを止めようとアスランが手を伸ばした時、
部下の1人が血相を変えて走りこんできた。

「准将〜!!じゃれてる場合じゃないっす!!」
「いや、じゃれている訳では・・・。」

真面目に切り返すアスランにアンリは笑いを堪えて、 “隙ありっ!”とばかりにメールを作成していく。
が、その指が続いた言葉で止まった。

「直ぐにキサカ総帥のもとへ。
バルティカ紛争のDDR部隊隊長として、辞令を交付する、と。」


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Chapter-9   blog(物語の舞台裏)
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