9-1 スノードーム


地球で初めて夜空を見上げた時、
これが本当の星の輝きなのだと思った。

初めて見る筈なのに
まるで遺伝子が記憶してるかのように、
自然にそう思うことができた。

宇宙から地球へ降りる
その時通る宇宙空間で見た星よりも、
プラントの空に描かれた星空よりも、
比較できない程に美しい。

星が瞬くのは、大気が光線の道筋を阻害するからだ。
それなのに、宇宙空間の一定の光量で輝き続ける星よりも、
地上から見る瞬く星の方が美しく思える。
星の輝きは瞬きにこそあるのではないかとさえ、
今は思う。

その夜空は、研究室のガラス越しでも変わらずに美しく見える。

そしてアスランは思う、
この星をプラントの人々が見たら、
たとえ戦争を繰り返した歴史があろうとも、
地球を愛さずにいられるだろうかと。

 


「ごめんな。こんな時間になっちゃって。」

サイはアスランに背を向けながら、研究室に備え付けられた小さなキッチンに立っていた。
立ち上るコーヒーの香ばしい香りに、ゆったりと心が和んでいく。
キラとラクスがプラントへ帰国してから、事態の収拾と地球連合との信頼回復へ向けて
めまぐるしい日々を過ごしていた。
しかし、時計の針の進むスピードを速めていたのは自分自身であることを、
アスランは自覚していた。
だからこそ、サイに無茶を言ってアポイントと取ったのだ。
早く、共同研究を仕上げてしまうために。

「いや、こちらこそすまない。
残業・・・になってしまうな。」

そんなアスランの言葉に、サイは喉元で笑った。

「や、研究職に残業も何も無いって。
ずっと勤務っていうか、
ずーっと好きなことしてるからさ。」

と言って、サイが差し出したコーヒーからはクリーミーな香が広がっていた。
いつもアスランがブラックを飲んでいることは
同じ研究チームである彼は知っている筈だが、

「や、ブラックばっかじゃ、胃に悪いだろ?」

そう言ってサイは笑った。
アスランは受け取ったコーヒーに込められた心遣いに目を細めた。

「ありがとう、サイ。
と、言うか、すまない。
予定をだいぶ詰めてもらって・・・。」

眉尻を下げたアスランの気遣わしげな表情に、
サイは朗らかに笑ってアスランの肩を叩いた。

「大丈夫だって。
つーか、研究室としては大助かりだよ、
お前がチームに入ってくれてさ。」

 


サイが準教授として所属している国立大学の研究室は
モルゲンレーテ社からの研究助成金を得て研究を行っている。
そこへ、アスランが加わったのは半年程前のことであった。
条件は、アスラン・ザラの名前が残らないこと。

「でも、本当にいいのか?
研究成果にお前の名前が入んないってことは、
お前の実績にはならないんだぞ。」

まだ研究者としては駆け出しのサイにとっては、実績=出世である。
その実績を放棄するなんて、信じがたい話だった。

「だいたい、びっくりしたよ。
あの論文、6本ともアスランだったなんて・・・
今、研究者は必死になって探してるんだぜ、お前のこと。」

この2年間で電子工学の分野にセンセーショナルを起こした論文が6つあった。
その内容は賞賛に当たり、
近い将来世界的なプライズを受賞するであろうと言われている程だ。
しかし、人々を最も惹きつけたのはそれらの執筆者が全て伏せられていたことだった。
学術誌が端を発したこの話題はじわじわと広がりを見せ、
メディアでも大きく取り上げられる程であった。
“この彗星は、誰なのか”と。
アスランは困ったように微笑んだ。

「俺が書いたことが分かれば、
成果に軍事的な意味を持つ可能性があるから・・・。
学問は、あらゆるものから独立してあるべきだろう?」

「そりゃ、そうだけどさぁ〜。」

サイは小さく溜息をついた。
学問の中立性を確保するために、
アスランはエリカに匿名で論文を提出できるように頼んだのだ。

「俺に出来ることは、全部やりたいから。」

静かに応えたアスランの拳に少し力が加わったような気がして
サイは片眉を下げて笑った。

「そんな気負わなくていいんだぜ、
締め切りまで余裕なんだからさ。」

そう言ったサイに、アスランは何かを伏せるようにすっと瞼を閉じた。

「論文を、早く仕上げてしまいたくて。
推敲する時間は多い方がいいから。」

アスランの理由は最もであったが、
それ以上の何かを読み取ったサイはそれ以上何も詮索せず、
デスクに着いた。

 

 

ラクスは部屋のチェストの上に乗ったスノードームを手にとって
ゆっくりと逆さにした。
水中をキラキラと舞う輝きに瞳を細め、そして元の位置へそっと戻した。

せめて、キラとアスランが、
ジュール隊が特命で執り行っているメンデル再調査に加われるよう手を尽くした。
メンデルで行われた事実を知り、
それぞれに真実を見つけた今、
彼等はメンデルへ行かなければならない。
それはラクス個人の、使命にも似た予感だった。
しかし、結果的にそれを許さなかったのは政治である。
キラの一件を境に、クライン議長としての権限は縮小せざるを得なかった。
それだけ、クライン議長は自由を失ったのだ、愛する人を守り抜くことと引き換えに。
それは、これまでのクライン議長の功績を考えれば微かな傷であろうが、
それでも、大きな時代の変化を感じ取る政界は過敏な反応を示す恐れがあり、
故にラクスは暫しの間、波風を立てず静かに時を待った。
いつか彼等がもう一度、メンデルへ向かう日が来ることを。

スノードームの中を舞う煌きは未だ収まらぬ波に揺れ、
桜の花びらが散るように舞うのに、
重力を失ったようにいつまでも漂った。

「どうしたの。」

ラクスは後ろから抱きすくめられて、
キラの鳶色の髪が頬を擽り、自然と笑みが浮かんだ。

「出発が、早まったのですね。」

キラに新たな任務が下ったのは、キラがプラントに帰国して直ぐのことであった。
この一件の中心に位置するキラを渦中へ放り込むことにもなりかねないが、
何よりも問題の早期解決により地球連合との信頼関係の回復を狙ったものである。
クライン派から提案されたこの人選は、成功を約束された賭けのようなものだ。
何故なら、同じ地にアスランが派遣されることが予想されていたからである。
キラを少しでも安全な場所へ確保しようという
それは上層部による最大限の配慮の現れであることを、
キラもラクスも分かっていた。
だから、甘んじて引き受けることにした。
今はずっと、2人で寄り添っていたいけれど。
あの一件を通してもなお、自分たちを信じてくれる者たちへ
感謝を行為として示したかった。

「うん。大丈夫だよ。
多分、オーブからDDR部隊としてアスランが派遣されると思うし。」

「はい。」

「それに、ソフィアの建国式典だってもうすぐだし。
すぐに、会えるでしょ。」

ラクスを慰めるような言葉とは裏腹に、
キラは甘えるようにラクスの肩口へ顔を埋めた。
ラクスはキラの腕に細い指を這わせ、祈るように瞳を閉じた。

どうかこのまま、平和な時が続きますようにと。



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Chapter 9   blog(物語の舞台裏)
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