8-30 糸の結び目



――どうしてお父様が共生の理念を掲げ、
   コーディネーターの受け入れを是としたのか、
   その本当の意味が分かった。

――私は、
   遍く命を祝福し
   共に生きる、
   そんな世界を創りたい。

 


アスランは肩に寄り掛かるぬくもりに、
そっと微笑みを浮かべた。
暁の狭いコックピットの中で、
先程までキラが座っていた位置に今はアスランがいる。
そして、泣き疲れたのだろう、
カガリはアスランの肩にもたれて眠っている。

――昨夜のこともあるし、疲れたんだろうな・・・。

そう思いつつ、カガリの安らかな寝顔には疲れが落とす影はなく、
むしろ幼子のように無垢な微笑みさえ浮かべていた。
どんな夢を見ているのだろうと、顔を覗きこもうとした時、
まるでタイミングを見計らったように
暁のモニターに文字が走った。
それは、キラからの通信であった。
わざと音声を消して文字だけにしたのは、キラの気遣いであった。

“ カガリ起きた?昼食どうする? ”

アスランはカガリを起こさないように、あいている片腕で返信した。

“ 良く眠っているから、このまま寝かせてやりたい。 ”

“ そっかぁ、残念だな。せっかくのケバブなのに・・・。 ”

キラの返信にアスランも心を痛めた。
昼食を用意すると言い出したのはコル爺で、
カガリはコル爺お手製ケバブが大好物であることを、アスランは知っていた。
ケバブは出来立てが一番だと力説するカガリの姿を思い浮かべ、
カガリを起こそうかと視線を向けたその時だった。

「ケバブっ!!」
勢い良く目覚めたカガリに、アスランは笑いを抑えることなんて出来なかった。
「おはよう、じゃ無くて?」

 

 

コンファレンスルームに香ばしいケバブの香りが立ち込める。
ごっぐんと、大きく飲み込んだキラがカガリに問うた。
「でもさぁ、カガリよく起きたね。」
カガリはニコっと笑って応えた。
その左頬には、早くもチリソースがついている。
「うんっ。
なんかな、キラに呼ばれた気がしたんだ。
“ケバブ食べようよ〜”ってさ。」
そんなカガリに、口元を押さえながらラクスは笑みを零した。
「双子のシンクロですわね。」

そんな3人の不思議な会話を耳にしながら、
アスランはチリソースに伸ばした手をムゥに掴まれた。
「おい、お前からさぁ、
コル爺にヨーグルトソースを頼んでくれよっ。」
そういえば、と、アスランはテーブルの上を見たが、
そこには大きなチリソースのボトルしかない。
「頼むっ、俺はヨーグルトソース派なんだっ!」
懇願めいたムゥの声に、
「バカヤロウ!!」
憤怒の形相のコル爺の鉄槌が下った。
「ケバブはチリソースと決まっておるじゃろうっ!!
このたわけっ!!!」
ムゥは引きつった笑みを浮かべながらマリューの肩を抱いた。
「ほらさぁ、妊婦に刺激の強いものはさぁ〜。」
しかし、マリューは肩に乗ったムゥの手をぴしゃりと叩いた。
「あら、私は“コル爺お手製スウィートチリソース”が気に入ったわ。」
それみたことか、と勝ち誇ったようなコル爺の笑みに、
ムゥは降参して“コル爺お手製スウィートチリソース”に手を伸ばした。

 

そんな、和やかな昼食の中、
カガリはキラの視線に気が付いた。
その視線に、何か意図が込められていることも嗅ぎ取った。
そして、その意図は自分のそれと一致していることも。
カガリはこの和やかな空気に紛れるような声でアスランに問うた。
「准将、この部屋からいかなる情報漏洩も無いよう、
手配は済んでいるよな。」
「はい、抜かり無く。」
その言葉に、カガリはふっと表情を緩めた。
どれだけ完璧にやってのけたのか、ザラ准将の手腕から考えれば想像に難くなかった。
一方アスランは、
カガリが暁のことを話すつもりであることを読み取り、
黙ってコーヒーに口をつけた。

 

 

「こんな格好をしていて説得力無いかもしれないが、」

カガリはそう前置いて、首長服の襟元をわざと引っ張った。
そのおどけたような仕草からかけ離れたような声で、カガリは続けた。

「これから話すことは、私個人の言葉として聴いて欲しい。」

ムゥとマリュー、コル爺の意志を確認すると、
カガリは凛とした声で告げた。
この言葉の意味は、この一日で果てしなく深化した。

「キラと私は、メンデルで生まれた。」

って、ムゥとマリューさんは知ってるよな、
そうカガリが付け加えたが、
一同を驚かせたのはコル爺の一言だった。

「知っておった。」

アスランはふっと表情を緩めて頷いた。
全てが自然のことのように、納得できたのだ、
コル爺がメンデル調査団に名乗りを上げたことも、
キラとアスランだけで行っていた夜間の調査にも加わったことも、
そして、あの惨劇を前に決してぶれない何かを持っているように見えたのも、
コル爺はカガリの真実を既に知っていたからだ。
おそらく、ウズミから伝えられていたのであろう、
カガリを、遺伝子に刻印された軌跡から護るために。

じゃ、話は早いな、とカガリはふわりと口元に笑みを浮かべると
単刀直入に話の確信に迫った。

「暁の内部に、私たちの出生に関するデータがおさめられていた。」

ムゥは組んだ両手に視線を落とした。

「それがあのパスワードの先にあったって訳か、
なる程ねぇ・・・。」

ムゥは微かに唇を噛んで瞼を伏せた。
そのムゥの感情を引き受けるように、カガリは言葉を加えた。

「私個人としても、国家元首としても、
あの情報を世界に持ち出すことは危険だと思う。」

コル爺は顔に深い皺を刻んで呟いた。

「調査隊が被った惨劇が、
全世界で起こるじゃろうの・・・。」

「それってどういう・・・。」

マリューは眉を顰めて問い、
コル爺はぶっきらぼうな言葉を返した。
それは酷く優しい響きを持っていた。

「お腹の子に聴かせたくはない、
そんな事が、現実に起きちまった、
メンデルの研究室で。」

コル爺は言外に、マリューの身を案じるようにムゥに示唆していた。
それを受け止め、ムゥとマリューは確認するように見詰めあい、
マリューは優しくお腹に手を当てながら答えた。

「赤ちゃんには聴かせたくないことでも
この子は一人では無いから。
私たちにも、聴かせてくれないかしら。」

すると、これまで沈黙を保っていたキラが口を開いた。

「メンデルで、ずっと研究が行われていたんだ、
僕を創るための。」

マリューは驚愕に瞳を見開き、
ムゥは苦味を帯びた表情を硬くした。

「メンデルで、沢山の命が創られて、
消されていった。
そうやって、僕とカガリは生まれてきた。」

テーブルの下で握り締めていたキラの掌を、
ラクスがそっと包んだ。
見ればラクスが心配そうに空色の瞳を潤めている。
キラは優しく微笑むと、唇だけに“大丈夫”と言葉をのせた。

「それを推し進めたのは、コーディネーターです。」

そう告げたアスランの言葉が寥寥と響いた。
すると、感情を押し殺した声でムゥが首を振った。

「俺のクソ親父だって、関係しているっ。」

ユーレンは莫大な研究費を埋め合わせるために、
禁忌とされていたクローンの生成さえも行っていた。
故に、ムゥはメンデルで起きた悲劇の一翼を自らも負っていると自覚していた。
だが、スーパーコーディネーターを生み出した研究者がユーレンであったことは、結果でしかない。
あの時、仮にユーレンが到達できなかったとしても、
いずれ誰かがスーパーコーディネーターを生み出したであろうことは予測できる。
それを推し進める者が存在する限り、
フリーダム・トレイルは永久に続いていく。
遺伝子の二重螺旋のように。

カガリは射抜くような瞳で、真実を告げた。

「過ちを犯したのは、
人なんだ。」

この過ちに、ナチュラルもコーディネーターも、
一研究者の倫理も、背後にある国家も関係無い。
全ては人が成したことである。
故に、その責任は人にある。
だからこそ、果たしたいのだ、
こうして生まれてきたからこそ、すべきことを。


マリューは微かに眉を寄せ、米神に細い指を這わせた。
彼らの眼差しを見れば、それが真実であることは確信を帯びて伝わったが、
それでも、とマリューは思うのである。

「でも、なんだか実感が湧かないわ・・・。
だって、私にとって、キラ君はキラ君ですもの。」

全てを包み込むおおらかな笑みを浮かべるマリューに、
キラは心があたたまるのを覚えた。
ラクスはマリューの言葉に静かに頷いた。

「人を決めるのは、遺伝子ではありません。
その人自身ですわ。
それを人は迎え入れ、
そうしてわたくしたち人は生きてきました。
それを訳隔てる事由は何もありません。」

アスランは、ラクスの言葉の真理のような響きを肯定しつつも
懸念を拭いきれずにいた。
誰もがマリューやラクスのように、個人の本質を見る訳ではない。
キラという個を見る前に、生物学的に個を形成する遺伝子を見る、
その蓋然性は大いにある。
コーディネーターであるだけで、遺伝子というフィルターを通して見られてきたアスランだからこそ、
懸念は深く沈みこむ。
もし、フリーダム・トレイルが世界に漏洩すれば
ヴィアの遺した意志だけでこの世界を護れるのであろうかと。

「で、そのデータはどうするんだ。」

ムゥの問いに、アスランの思考が現実へと引き寄せられる。
ヴィアが遺したデータでさえ、漏洩を避けなければならないことは明白だった。
ならば、そのデータを何処に保存し、安全を確保するのか、
その答えは既にキラとカガリの中で一致していた。
カガリは、ムゥとコル爺を射抜くような瞳で見詰めて請うた。

「出来ることなら、あれをずっと、
暁の胸に眠らせておきたい。」

――願わくば、目覚めの時が来ぬように・・・。

きっとお父様はそう願っていたのではないだろうかと、
カガリは思う。
だから、製造者であるコル爺にさえ告げずに、密やかに安置したのではないかと。

ムゥはキラへ視線を向け、確認するようにゆっくりと問うた。

「キラも、それでいいんだな。」

「はい。
むしろ、その方がいいと思います。」

「了解した。」

ムゥの答えに、カガリは安堵の笑みを浮かべた。

「ありがとう。」

と、コル爺は釘のように眼光を光らせ、
「壊すなよ。」
ムゥは引きつった表情を浮かべ、頭をかいた。
「おいおい、プレッシャーだな。」

アスランはそんな会話をよそに、思考の糸に解けぬ結び目を見つけた。
何故ウズミは、キラとカガリを護るための情報を暁内部に残したのか。
カガリに確実に渡るため・・・?
しかし、カガリが暁を使う時とは即ち戦争が起きた時であり、
その場合、暁が“壊れる”ことも十分に予測できる。
中のデータごと、復元不可能な程に。
そこまでのリスクを冒して、何故ウズミは護るための盾のありかとして、
暁内部を選んだのであろうか。

一本の真直ぐな糸にできた唯一つの結び目は、
糸に指を這わせなければ気が付かないほど小さく、
それ以上に硬く結ばれ、
いつまでも解けぬままに残された。








「で、ケイはどうしてる?」

カミュは画面越しに問うた。

「あのままだ。」

マキャベリの表情は、真一文字に引かれた口元がとりわけ厳格に映るほか、
仮面に覆われ窺い知ることができない。
カミュはアールグレイの香りを楽しむようにティーカップを揺らし、
その拍子に二重螺旋を描く湯気が儚く消えた。
そっと琥珀色の瞳を伏せて、薄い唇を付ける。

ケイはメンデルへ帰還してからずっと、MSのコックピットの中で過ごしている。

――まるで、心を閉ざすように・・・。

「こうなることも、分かっていたのであろう。」

地を這うようなマキャベリの声に、どこか薫るようなぬくもりを感じて
カミュは哀しみを帯びた微笑を浮かべた。


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Chapter 8   blog(物語の舞台裏)
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