8-29 時を越える意志
「じゃぁ、僕たちは先に戻るね。」
マリューさんたちも待ってるし、
そう言葉を加えたキラはコックピットから軽やかに降り、ラクスの手を取った。
2人を互いを映したような澄んだ瞳は
全てを受容したように安らかであった。
残されたアスランは
コックピットの中で膝を抱えたままのカガリに視線をやった。
――やはり、ひとりにすべきだな・・・。
カガリには暁内部に遺されたメッセージに馳せる想いがあるのだろう、
きっとここにいる誰よりも、沢山。
だからアスランも傍を離れようとした時、
コックピットの中からくぐもった声が漏れた。
「アスラン・・・。」
呟くようなカガリの声に、アスランは目を瞠った。
“ もう少しだけ、ここに居て ”
うぬぼれかもしれないが、
確かにそう聴こえた気がした。
だからアスランは、コックピットの側面に背を預け
静かにカガリを待った。
アスランの気配を感じ取り、
カガリは無条件の安堵を抱きしめて瞳を閉じた。
聴こえてくるのは、
父の言葉。
そして、瞼に浮かぶのは
母の意志だった。
『生きなさい。』
『今の君たちには、
あまりに厳しい言葉かもしれない。』
『君たちは、
世界に祝福されて生まれてきたことを
忘れてはいけない。』
『君たちの命を
護り、
慈しみ、
愛する人がいることを、
忘れてはいけない。』
『君たちの未来で
共に生きることを望む人が待つことを
忘れてはいけない。』
『君たちは独りではない。』
『故に、
生きることを諦めてはいけない。』
『未来を信じ続ける強さと
夢を描き続ける勇気と
共に生きる覚悟を抱き、』
『生きなさい。』
そのウズミの遺言の後に映し出されたのは3つのデータだった。
それぞれのデータは旧式のメモリーに保存されているため劣化していたが、
それでも、それを遺した者の意志はあまりに鮮明に彼等に示された。
遺されたもの、
それはキラとカガリの母であるヴィア・ヒビキの記録であった。
一つ目は、ユーレン・ヒビキによって成された研究の全てを綴った研究日誌、
二つ目は、それとは異なる結末の研究日誌、
三つ目は、ユーレンの研究成果、つまりフリーダム・トレイルを否定する研究論文だった。
ラクスの手を取りキャットウォークを歩んでいたキラの足が止まった。
ラクスは、繋いだ手が微かに震えていることに気付いていた。
一つ目の研究日誌から判明したことは、
ユーレンの研究、つまりフリーダム・トレイルは完成されていたことだった。
二つ目の研究日誌は、
完成されたフリーダム・トレイルを破綻させるためにヴィアが捏造したものであり、
捏造された研究成果を元に書かれたのが3つ目の研究論文であった。
それらが示すこととは、フリーダム・トレイルを打ち砕かんとするヴィアの遺志だ。
暗闇を貫く光のように、強く。
半歩前で俯くキラの表情は、ラクスから見ることは出来ない。
しかし、ラクスには分かっていた、
今、キラは泣いているのだと。
「キラ・・・。」
ラクスはキラの背中を
きつく抱きしめた。
カガリは、今は何も映らない暁のモニターを見詰めていた。
ヴィアの遺した3つの記録から伝わることはあまりに沢山あって、
それでもカガリの心に残光のように一つの真実が浮かぶ。
――キラも、私も、
愛されていたんだ・・・。
泣き出したいような衝動に、カガリはぎゅっと膝を抱えて顔を埋めた。
羽を掠めるようにそっと頭を撫でられて、
顔を上げればそこに優しい眼差しを向けるアスランがいた。
心があたたまる、
それと同時に視界が揺らめいて、
アスランに何か言わなくちゃ、そう思った瞬間に
涙が落ちた。
アスランの手が左頬に添えられて
親指がゆっくりと涙を撫でた。
それが胸が軋むほど心地よくて
カガリは瞼を閉じたくなるのを懸命に抑えようと瞬きをした。
「いいんだ、今は。」
アスランの優しさに、カガリは切なく瞳を揺らめかせた。
そして左頬のアスランの手に重なるように手を添えて
静かに瞳を閉じた。
頬をなぞる涙が、2人の手を等しく濡らした。