7-1 アップルパイ
アスランが車を降りる直前に確認した時計は、
もう間もなく深夜を指そうとしていた。
満月を過ぎた月の光は全てを等しく
優しく照らし、
色鮮やかなこの庭の花々も樹木も何処か安らかに見えた。
その先に浮かぶ白亜の城までの道を歩む足取りは
自ずとゆるやかになっていく。
宵闇に溶け込むようなアスランの髪を
ゆったりとした風が梳いていく。
瞳を閉じれば海風にのって潮騒が聴こえてくる程に、
静かな夜だった。アスランは両腕で抱えた大きな籠を傾けて片手で抱えなおし
エントランスのベルを鳴らした。
すると、家主をそっくり表したように勢い良く扉が開かれた。
「お久しぶりです、マーナさん。」
困惑と懐かしさを混ぜたようなアスランの笑顔に返ってきたのは
「まぁ!まぁ!まぁ!
ようこそお越しくださいましたっ!!!」
瞳に小さな涙さえ浮かべたマーナの
文字通りの大歓迎だった。
「どうぞ、中へお入り下さいましっ。」
さぁさぁ、と聴こえてきそうな足取りでマーナはアスランを案内しようとしたが、
「いえ、俺はこれで失礼いたします。
こんな夜分に訪ねてしまい、ご迷惑をおかけいたしました。」
巨大な籠を両腕で抱えながらもアスランは丁寧に一礼した。
「まぁまぁ、何をおっしゃいますかっ!!」
頭を下げたアスランは、突然マーナに籠を掴まれ
「あ・・・。」
彼女の言い分を聴かない訳にはいかない状況になることを悟り
丁重に籠をその場におろした。
「先程、キラ様がお目覚めになったばかりでございますっ。
キラ様もラクス様も、アスラン様とお会いになりたいと、
そうお思いになられるに違いございませんわっ!!」
目覚めたばかりなら
2人きりの時間を優先させるために
なおさらこの場を辞すべきなのではないかとアスランは思うのだが、
興奮で紅潮させながら力説するマーナに逆らえるとも考えられず、
「では、お言葉に甘えて。」
そう言うしかなかった。
アスランの答えに満足したのか、
マーナは胸の前で両手を組んで喜びを噛み締めていた。
そして、今思い出したといわんばかりにパチンと両の手を叩いてアスランに告げた。
「もう直ぐ、姫様もお戻りになられる事ですし。」
その時マーナが見せたウィンクに
他意は無いと、
勝手にアスランは結論付けた。
アスランは抱えた大きな籠を預かろうとした執事等をやんわりと断り、
マーナの後に続いて長い廊下を歩いた。
そこかしこに飾られた生花や
幾人の人に触れられ大切に使い込まれてきた家具や調度品を目にして、
アスランはこの邸にあふれる人のぬくもりを改めて感じた。
そして、ここがキラとラクスの滞在先となったことに安堵したのだった。
保護したキラとラクスの滞在先がアスハ邸に決定するまでには、
少々の時間を要した。
事態を受けて当初から用意していた
サミット等で各国の首脳が滞在する五ツ星ホテルの変更をラクスが願い出たからである。
問題となったのは、
第一に2人の安全を確保するためのセキュリティ、
第二にプラントの最高権力者が滞在することの政治的意味、。
キラの静養を最優先に考えるのであれば
4年前の戦争の傷を癒した孤児院が最も適していたであろう。
しかし、当初ラクスから提案された孤児院は上述の問題により叶わなかった。
静養を優先させるならと、オーブ外務省からは大学病院を併設させた保養所が提案されたが、
『本当に必要とされている方を、優先させてください。』
とのラクスの言葉によって退けられた。
そして次にラクスから願い出されたのが、アスハ邸であった。
確かに、セキュリティレベルは国内随一の場所であり、
広大な敷地内は自然にあふれ、その場にいるだけで癒されていく程であり、
対外的にキラと兄弟の契りを交わしたこととなっているカガリの実家は
2人に心の平穏をもたらすことになることも考えられた。
だが、問題となったのは滞在に伴う政治的意味だった。
これは、ラクスとキラのプライベートな滞在では無いのである。
地球連合側の立場に立てば、
プラントの最高権力者とそのフィアンセであり事態の容疑者を
オーブの代表の本家に滞在させることは、
2国間に水面下の同盟関係に通じるつながりがあるのではないかと
不信に捉えられる蓋然性が発生する。
そこから、
“今回の一件は連合制空域を密偵することを目的とした
プラント・オーブ両国による共謀であった“
と結論付けられることさえ考えられる。
しかしオーブはリスクを負い、2人の滞在先はラクスの申し出の通りアスハ邸となった。
当初のクライン議長よりの要請であった“人命救助”を事後対応にも拡大させ、
キラの静養を最優先させた結果とした。
国としてこの結果を導き出せたのは、
リスクを負ってもそれを具現化させないだけのオーブ外交の自信と、
事実を全てさらけ出せる用意があるとの潔白性があったからである。
2人の滞在先がアスハ邸であることが公表されることにより
オーブ外交の自信と事態の潔白性は、対外的により顕著に示された。そんな経緯と久しぶりに訪れたアスハ邸の趣を頭に共存させながら、
アスランは小躍りしだしそうな軽い足取りのマーナの後をゆったりと歩いた。
と、マーナはアスランをキラとラクスの元へ案内しようとしたが、
「先にキッチンの方へ寄らせていただけませんか。」
アスランは控えめに籠を示しながら言うと
マーナは満面の笑みで頷いた。
「中は、リンゴでございますか。」
籠の網目を透かすような視線をマーナは向けた。
「はい。
キラは、マーナさんのアップルパイが大好物なので。」
そう言って、アスランは懐かしさに目を細めた。
「そう言っていただけて、マーナは嬉しゅうございます。」
アスランが籠の蓋を開けると、
「まぁ!」
マーナはひとつを手に取り
その色艶と熟れ具合にうっとりしながら鼻を近づけた。
と、
籠の蓋を開けただけで包まれた爽やかな甘さにだけではない何かを嗅ぎ取り
マーナははっと顔を上げた。
「このリンゴは何処から取り寄せたのでございましょうか。」
アスランはふわりと柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「実は、アンリが・・・。」
「アンリっ!?もしやっ、アンリ・ファウステン様でございますかっ???」
「はい。リンゴを探していると言ったら、これを。」
「そうでございますか、
アンリ坊ちゃまが・・・。」
そう言って、マーナはリンゴを慈しむ様に撫でた。
そこに一抹の哀しみが混じっていた理由を
アンリの生い立ちを知るアスランは理解していた。
「とびっきり、美味しいアップルパイをお作りいたしますっ!
マーナにお任せくださいませっ!」
マーナは努めて明るい笑顔を見せた。
「あ、それから、もう一つお願いがあるのですが・・・。」
「はい、何でございましょう。」
と、言いながらマーナはアスランから頼みごとをされる事など何時以来であろうかと、
頭の片隅で思っていた。
「アップルパイを作る時は、良ければラクスを誘っていただけませんか。」
アスランの言葉にせぬ思いを汲んだ様に、
マーナは人懐っこい笑みを浮かべ大きく頷いた。
キラはラクスの作るアップルパイも、マーナのそれに負けない程好物であるから。
しかし、アスランがマーナに願い出た本当の理由は別にあった。
――きっと、ラクスであれば、
いつもの、当たり前の事を
自由にしたいと思うだろうから。
その一つが、
愛する人のことを思いながら料理を作り、
一緒に“おいしい”と言い、
笑い合うような時間なのではないかと、
思った。
アスランの脳裏に甦ったのは、先の戦争が始まる前の、
海辺の孤児院の穏やかな午後の風景。
子どもたちと一つのテーブルにつき、ラクスの焼いたアップルパイを食べた。
キラとカガリは、
口元の同じ位置にパイの屑をくっつけて
それに気付かない程夢中になってアップルパイを頬張っていた。
その時、
2人の様子をくすくすと笑ったラクスが洩らした言葉。
『わたくしは、今、とても幸せですわ。』
あの時のラクスの言葉が、
今のアスランには
何処か切なく聴こえた。
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