5-1 秘密の花園
秘密の花園――。
その名がふさわしい程、
その庭園は色とりどりの花で溢れ、
切り取られた空間の小さな楽園のようであった。
その空間に薄桃色の甘く芳しい香りを吹き込んでいるのは、
庭園の主のひとりであるラクスであった。
今日も、 小鳥の囀りと共に ラクスの春風のように軽やかな旋律が
風にのって響き渡っていた。
「さぁ、いきますわよ。」
ラクスは、車椅子に腰掛けたキラに声を掛けると、
キラの体を引っ張り上げた。
直立したキラの体が一瞬ふらりと傾き、
すかさず支えたラクスの髪がふわりと揺れた。
プラントに帰還し、ジュール隊を事実上脱退したキラは
ラクスと共にクライン邸で穏やかな日々を送っていた。
あれからずっと、キラに意思も表情も戻ることは無く、
自らの行動といえば人間の生命維持に必要な最低限度に留められていた。
そのため、キラは大半の時間を車椅子かベッドの上で過ごしていた。
そのような姿勢に慣れた体で直立すると、
筋肉の弱体化に伴い姿勢の変化に血流が追いつかなくなり
さらに視界が急激に高化することによる恐怖が加わり
眩暈を覚えるという。
キラのふらつきの原因は、
明らかに前者のみであった。
キラには、全ての感情が欠落していたのだから。
焦点の定まらぬ紫黒の瞳を正面に向けながら、
そこには何も映し出されていなかった。
蒼白の顔面には何の表情も浮かべず
重力に従って閉じた唇は薄紫色に染まり、
弛緩しきった体は日に日に衰えていく一方であった。
ラクスはキラの左側に立ち、 キラの腰に腕をまわして体を支え
キラの左腕を自らの肩の方へ動かした。
尋常では無い程冷えたキラの肉体に触れ、
ラクスはキラの精神を含めた生気の欠落を感じずには居られなかった。
今も直、キラを包む全ては果て無き闇であった。
しかし、ラクスは決して絶望に染まらぬ強さを持った
清らかな笑みを浮かべて キラに寄り添い続けた。
――わたくしが、光を届けます。
あなたを、光で包みます。
「さぁ、お散歩の時間ですよ。」
ラクスは鈴が弾むような声でキラに話しかけた。
芝生の上で直立するキラも、
それを支えるラクスも、
素足であった。
足の指の隙間から大地のぬくもりと、
青々とした芝生の瑞々しさが心地よく伝わり、
風に吹かれるたびに素肌をくすぐる。
2人の足元で色とりどりのハロたちが 元気良く掛け声をかけていく。
「イチ!ニ!」
「イチ!ニ!」
それに呼応するように、
ラクスは笑みをこぼしながらキラのリズムを刻んでいく。
「いち。に。」
「いち。に。」
キラは自らの意思によって歩行していると言うよりは、
ラクスに引っ張られ ハロに足を押されることによって
歩行せざるを得ない格好であった。
その不思議で、 幸福な光で満たされた風景に、
アスランは言葉が出なかった。
「アスランッ!!」
ネイビーのハロがアスランの名を呼び大きく跳ねると、
続いてハロたちはぴょんぴょんと忙しなく跳ねだした。
ラクスは来訪者の方へキラの姿勢を向けると、
ふんわりとした微笑を浮かべた。
「ようこそ、アスラン。」
アスランは一瞬、言葉を失った。
満開の花々と、日の光を透かした瑞々しい緑に囲まれて、
たおやかな微笑みを浮かべるラクスに寄り添われて
キラはそこにいた。
しかしキラは、アスランが一瞥して分かる程に
世界から切り離された。
そんなアスランの感情に触れずに、
ラクスはキラの歩をアスランへ向かわせ
息を楽しげに弾ませながら近づいてきた。
すかさずアスランはキラの右側へ回り込み体を支え
歩行の介助にあたった。
「すまない、約束より早い時間に。」
言葉少なに謝罪を述べるアスランらしさに、
ラクスはくすくすと笑みをこぼした。
「いいえ。 訪ねてくださって、とても嬉しいですわ。
ねぇ、キラ。」
キラに相槌を求めるようにラクスはキラへ面差しを向けて、
返らぬキラの反応にさえ答えるように微笑みを浮かべて頷いた。
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