12-25 バグ
「何・・・言ってんだよ。」ベーグルサンドを片手に戻ったクルーは、
メイリンの横に色鮮やかなマカロンと紅茶の入ったタンブラーを置いた。
寝不足でも女の子を気遣う余裕はあるつもりだったが、
メイリンの言葉はそんな余裕を掻き消す威力を持っていた。
何故なら、軽はずみでそんな事を言う彼女では無いことを、彼自身が良く知っていたからだ。“私も確証がある訳じゃないんですけど”そう前置いて、
メイリンはマニュアルで再処理したデータを表示させる。「見てください、ここ・・・、バグが起きてませんか。」
「確かに・・・、でもこれまでシステムは正常に動いていたんだけどな。
そもそもここは公空域だ。
取っている進路もプラントへ一直線。
そう考えると外部からの影響って言うよりは、突発的なシステムトラブルか?」クルーはメイリンの隣の椅子に腰かけると、タンブラーのコーヒーで喉を潤し言葉を続けた。
「バグはバグでもこれだけ軽けりゃ航行自体には問題無いだろ。
プラントに戻ってから再点検すれば。」メイリンは何も言わず、彼から画面へと視線を戻した。
彼の方が自分よりもキャリアが長い。
こういった場面に対処してきた経験もあるのだろう。
それに、以前の自分だったら彼と同じように判断していた筈だ。
単なるバグは良くあること、と。
しかし、メンデルで起きた惨劇が彼女を踏み留ませる、
このまま見過ごしてもいいのかと。メイリンは席を立つと操縦席へと移動した。
そもそも自動運転であるため航路を過ちようが無い事は十分承知している。
その上、少数先鋭のジュール隊の操縦士だ、その腕に間違い等無いという事も。
それでもメイリンは画面に向かって目を凝らす。
その拍子に艶やかな赤い髪が肩から滑り落ちた。「どうしちゃったの?」
操縦士はベーグルを咀嚼するクルーに視線を投げると、
肩をすくませるジェスチャーだけが返された。
と、その時、メイリンは唇に手を当て一瞬思案すると、そのままブリッジを後にした。
「どう…思いますか。」
画面から顔を上げて振り向いたメイリンの目に映るのは、
先程のクルーとは打って変わって厳しさに目を細めたイザークだった。
艦長室へと向かったメイリンは発見したバグを報告すると、
ディアッカはその手順から導き出された結果までを精査した。
芥子粒程の僅かなバグから導き出した答えは一致していた。
この艦が向かう先に待つものとは、祖国プラントでは無く――「この艦は狙われている。目的は…」
そこでイザークは言葉を切ると、奥歯を噛みしめるように続く言葉を打ち消した。
奴等の目的は、アスハ代表だと見て間違いない。
ソフィアのテロに乗じての誘拐も、シャトル銃撃も失敗している奴等にとって
これが最後のチャンスだと踏んだのであろう。
この艦がプラントへ到着してしまえば、もう手も足も出無くなる。
もう二度とオーブはアスハ代表を危険にさらす真似などしない筈だ、
奴らだってオーブの戦力を忘れてはいまい、
そして、アスラン・ザラの存在も。“俺が奴等なら”、そうイザークは脳内で算段する。
ここで確実に仕留める、あらゆる手を使ってでも。「どうするよ。
この先に張られた罠にわざわざ掛りに行くってか?」ネビュラで誘導された先には確実に罠が張られているだろう、
シャトルが襲撃された時と同じように。
この艦なら、戦艦が何隻来ようとも返り討ちにする自信はある、
だが、こちらの戦力を知らずに攻めてくる程間抜けな集団では無い筈だ。
奴等には今しかないのだから。彼等は渇望しているのだ、
Freedom trailという未来に。
それが世界を砕くものだとしても。今しかない、
奈落を臨む縁に立つ者は何をしでかすか分からない。――厄介だな…。
常と変わらぬ軽い口調のディアッカに黙り込んだイザークを見て、
メイリンは震えそうになる足に力を込めた。――ダメっ、今は震えてる場合じゃないでしょっ。
イザークは逡巡の末にディアッカと共に体制を組み立て始めた。
これから起きる何かはきっと、命を揺るがす程の事になる。
その予感を前にしても冷静さを失わなず、呼吸も鼓動も乱さない上官達に、
圧倒的な強さを感じて悔しさを覚えた。
弱く小さい自分、でも、――私だって・・・っ。
「私はネビュラのコードを解読して正確な位置情報を割り出します。
それから、アスランさんにも艦の座標を伝えなきゃ。」イザークは浅く頷いた。
「この状況でディアッカは付けられない。
一人で、出来るな。」メイリンは射抜くようなアイスブルーの瞳に灼熱を感じ、全身を痺れが襲う。
しかし、メイリンが応えた表情はイザークとディアッカの想像をはるかに超えていた。
艦長室を後にしたメイリンの背中が扉に遮られると、
ディアッカは口笛を吹いて呟いた。「良い女になったなぁ。」
たおやかな微笑みに迷い無き瞳、
しなやかさと強さを合わせ持つ表情が鮮明に焼き付いている。
それはイザークも同じだった。「成長して当然だ。
ここは託児所じゃないんだからな。」変わらぬ憎まれ口、しかしそこに成長への喜びが滲み出ていたことを知るのは、
隣にいたディアッカだけだった。「さてと。
で、どうすんの、艦長。」こんな時だけ“艦長”呼ばわりするディアッカを一睨みし、
イザークは不敵な笑みを浮かべた。「無論、迎え討つ。」
緊急戦闘配備のブザーが艦内に響き渡る。
それは祖国への帰還を前に弛緩した空気を一気に締め上げた。
「これで納得できるかよっ。」ブリッジでは作戦を伝えられたシンがイザークに噛みついていた。
イザークとディアッカが導き出した答え、
それは敵に遭遇するまで何もしないというものだった。
その間にアスランと合流し、アスランに討たせる。
それを望んだのは他でもないカガリだった。『この戦いに、プラントは関係ない。
テロリストの目的は、これまでの経緯から判断して私だ。
ならば、解決する主体はオーブでなければならない。』その言葉の裏には、テロリストの背後に浮かぶFreedom trailに
プラントを巻き込むまいとするカガリの想いがあった。
ここでプラントがFreedom trailに触れれば、
一気に世界は割れるだろう。
Freedom trailの輝きは抗いがたい強さで人々を引き付け、
人々を焼き払い、
人々を砕くだろう。しかし、カガリの想いをイザークとディアッカは共有できても
シンをはじめ、何も知らされていない者たちとは共有できない。
出来る筈が無い、でもそれでは軋轢を生む。
カガリはディアッカに視線を送った。
皆の心に大なり小なり巣食う納得できない感情を集めたようにシンが噛みついてくることは
イザークもディアッカも想定内の事だった。
当然、対策も練ってある。「いつからジュール隊は腰抜けになったんだよ。」
テロリストに狙われている、ならば先手を打ち叩き潰す。
シンにはそれができる自信があるだけではなく、
意図的であっても相手の術中にはまる事になることが許せなくもあった。
ジュール隊であれば、相手の出方を待つまでも無く
容易にこの窮地を抜け出せる筈だと、
シンは無自覚であったがジュール隊としての自負もまた、
作戦への憤りを煽っていた。イザークは全力で打ちこんでくる拳のような声に顔をしかめ溜息を落とす。
その仕草がさらにシンの怒りの炎に油を注いだ。
が。「勘違いすんなよ、別に逃げる訳じゃない。
単なる時間稼ぎだ。」怒りの炎を消さず、そのエネルギーの向かう方向を変える、
相手に悟られずに。
そんな芸当ができるのはディアッカだけだ。「時間稼ぎって、あんたっ。」
「前にも言ったよなぁ、大事なのはタイミングだって。」
ディアッカは片側の口角を上げ、
“忘れてんじゃねぇだろうな”と言わんばかりに目元を細める。
その仕草は癪に障るが、シンの脳裏に瞬間的に映った当時の光景が全てを踏みとどまらせた。
メンデル調査隊がプラントに帰還したあの時、
何も言わないアスランに噛みつこうとしたシンを止めたのはディアッカだった。
あの時の言葉を忘れた訳ではない、
それでも納得できない気持ちを無かった事はにはしたくない。「俺らなら相手を叩き潰すことは簡単だ、
何時でも、何処でも、何をされても、な。」ディアッカの紫色の瞳に浮かぶのは自信、
何ものにも揺るがすことが出来ない強さがそこにある。
その強さがお前にはあるのか、そう問われている気がしてシンは息を飲む。「だったら、取るべき選択は一つ、
出来るだけ楽をして、相手に最もインパクトを与える作戦。
木端微塵にする程の、な。」噴き出した想いのままに広がった炎が集約していく。
弱くなったのではない、小さくとも熱く強い光に整ったのだ。
正確には整えられたと言うのだろう、ディアッカの手によって。
シンから先程の剣幕は消え、薄く体を包むような集中に変わった。その様子を傍らで見ていたムゥは、飛び出しそうになった口笛を片手で押さえた。
ジュール隊の力を最大限に引き出しているのはディアッカの存在があるから、
そして個性の強すぎるこの隊がぶれないのは、イザークが通す一筋の信念があるから。――ほんと、良い組織を作ったもんだぜ。
同じことをカガリも思っていたのであろう、
ふと目が合った2人は微笑んで頷いた。
しかし、そんなほのぼのとしたやり取りを、今の精神状態のシンが受け入れられる筈も無く。「ほんっと、アンタって疫病神だな。」
「ちょっと、シン。」
ルナはシンの言葉を制するように睨みをきかす。
「いいんだ、ルナ。
私だってそう思うしな。」一方のカガリは清々しささえ思わせるような笑顔を浮かべる。
が、シンのフィルターを通せばそれは場違いな程軽い表情に見え、
苛立ちのままにシンは髪の毛を掻きむしった。「アスランが来なかったら、俺が討ってやる。」
手を振り下ろした拍子に吐き出した言葉に、
カガリはふわりと笑みを浮かべて応えた。「アイツは来る、必ずな。」
迷いの無さが澄んだ響きを生む。
それはダイレクトにシンに響き、苛立ちと共に跳ね返された。「なんで言い切れるんだよ。」
ネビュラの影響によってこの艦は航路を外れ、
コードを解読しなけば正確な座標を把握することもできない。
メイリンがコードを解読できたとしても、
ネビュラの通信障害の問題が立ちはだかる。
アスランと通信できたとしても、
アスランがネビュラの散布された空域を正確に航行しなければ合流できない。
奴らが張ったであろう罠や刺客を掻い潜って。
この作戦には越えなければならない壁が多すぎる。
それなのに、全てを越えてアスランが来ると言う
カガリの言葉に迷いは無い。――何なんだよこの女はっ。
カガリは真直ぐに言い放った。
「約束は必ず果たす、
そういうヤツだよ、アイツは。」そこには部下へ対する全幅の信頼という言葉では片付けられない何かがあったが、
シンはそれが何なのか気付けずにいた。
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